小説 川崎サイト

 

ささやか暮らし


 笹岡は挫折し、さらに体調も崩したとき、もうささやかなものでもいいのではないかと思うようになった。コンディションが戻ればまた再開できるのだが、初期の目的は叶いそうにない。
 精神力など一寸した肉体的なことでころりと落ちたりする。笹岡もそれで落ちた。元々根性がなく、精神力も弱いのだろう。
 それで身体の回復を待ちながら散歩をしていた。散歩も体力はいるが重労働ではない。それにとぼとぼ歩き程度なら問題はない。普段よりも半分以下のスピードだが、散歩なので急ぐ必要はない。
 歩くだけでも苦労するわけではないが、普通に歩けない。しかし、毎日歩いているうちに、徐々に回復していった。笹岡はここで得たものがささやかなもの。小さな目標のようなもの。それにチェンジする気になった。これなら体力や精神力が弱くても何とかなる。
 つまり小さな幸せ以前の、もっと小さくて、それが幸せなのかどうかさえ分からないほどの目標に変えた。
 もっとも幸せを得るためにやってきたわけではない。何かを得れば幸せになれるとしても、幸せを直接得ることはできない。
 笹岡が気付いたのは、得ることではなく、捨てることで得られる幸せさのようなもの。
 笹岡は体調が戻ってからも、規模を減らし、小さくした。将来に繋がるであろう案件なども捨てた。どうせそのまま放置したままだったので、特に決断はいらない。それでプレッシャーがぐっと減った。
 いろいろな関係者などの人脈も極力切った。後々役立つ人達と思い、関係を続けていたのだが、その後々はもうないようなものなので、これもすっきりした。
 そしてささやかなものへと走ったのだが、これはこれでまた難しい。ささやかなことで得られる満足度が低いためだ。
 それに元気さが戻り、やる気も起きてきた。
 そしてまた大きい目のことをやり始めようとしたのだが、今回は本気になれなかった。一度ささやかなものを求めたためだろうか。大きなことが大層に思え、やる前から疲れてしまう。
 いろいろな関係者とも疎遠になっていたので、笹岡のことなどもう忘れられていた。
 あのとき、ささやかなものへとスタートを切ったのが効いているのだ。
 だから目的はささやかなものとなったのだが、これがなかなか見付からない。簡単に見付かり、簡単に手に入るはずのささやかなものなのに、得たときの気持ちの入り方が違う。つまりささやかな楽しみとか、ささやかな幸せなどが実感できないのだ。
 仕方なく笹岡は、また大きい目のことをやり始めた。関係者とも再び接触し、以前のような動きに戻った。
 大層なものより、このささやかなものの方が攻略が難しいようだ。
 
   了

 




2019年1月23日

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