小説 川崎サイト

 

初心に帰れ


 初心を忘れるな。などというが、初心とはかなり欲の強いもの。初心を忘れた人の方が欲が弱くなっていたりする。これは逆ではないかと思えるが、初心者の欲は上級者の欲よりも大きい。つまり欲張りだ。その欲がベテランになってくると叶わぬ欲であることが分かりだし、妥当な欲になる。
 初心者は知らないだけに夢を持ちすぎる。だから初心の頃の気持ちを忘れぬなというのは、もっと大それた欲を持てという意味にも聞こえてくる。そんな耳を持つ人は希だろうが。
 初心の頃の気持ち。心身とも溌剌としており控え目。それらはいいイメージだが、子供が純粋ではないように、ベテランよりもたちが悪かったりする。
「では初心に戻れとは欲張りになれということですか」
「まあその欲も壁にぶつかってすぐに消えるが、その欲を持ち続けた方がよいのじゃ」
「何がよいのですか。そんな欲張りの」
「年をとると欲が減る。初心に戻れとは欲を戻せということじゃな」
「逆だと思うのですが」
「君が初心者の頃はどうじゃった」
「そりゃ大人しいものですよ」
「大それたことを考えておらんかったかい」
「あれもしたい、これもしたい。ああいう風になりたいとか、第一人者になりたいとか」
「それみなさい。もの凄く欲張りじゃないか」
「いろいろな可能性がありましたからねえ。まだ何も始めていない頃なので、夢ばかり膨らませていましたよ」
「我欲を膨らませていたんだ。だから欲張りじゃといっておる」
「それは何も知らない初心者だからですよ。それで普通でしょ。まさか初心者の頃から隠居さんのようなことを思うわけがないし。そちらの方がおかしいですよ」
「初心は忘れる方がいい」
「いわれなくても、そんなもの忘れていますよ」
「そうか、それならいい。それに初心の頃の欲に戻るにはきつすぎるしな」
「そうですよ。若いからパワーがあったのです。気持ちだけ戻せてもパワーが付いてきませんよ」
「だからうまくできておる」
「でも初心に戻るとは、一からまた新鮮な気持ちでやり直すという意味じゃありませんか。出直すような」
「それは初心の頃の大きな欲に戻ろうということじゃな」
「初々しくて、真摯で、素直で、いいイメージなんですがねえ」
「初心を貫いておる奴もおるが、迷惑じゃ」
「純粋だからでしょ」
「それが一番の強欲。これほどたちの悪いものはない」
「あ、分かりました」
「何がじゃ」
「師匠はもしかして初心者の心を今もずっと持っておられるのではないですか」
「違う。そんなもの一日で捨てたわい」
「そうですかねえ」
 
   了

 




2019年1月24日

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