小説 川崎サイト

 

日暮れ坊


 これは妖怪博士が普段やっている仕事の一部で、いつもの営業のようなもの。
「夕方、日が落ちた寸前から妙なことになるのです」
「暗くなっただけでしょ」
「そんなもの子供の頃から知っていますよ。その奇妙さとは違うのです。そうでないと、わざわざ博士に相談しません」
「それは失礼しました」
 妖怪博士はテーブルの紅茶を持ち上げる。妙に平たい。頭の鉢が開いたような感じで、ピンク色の花が一輪描かれている。反対側から見れば、ただのツルッとしたカップ。そして非常に薄い。指で弾くとピーンと音がしそうなほど。
「世界がさっと入れ替わるような感じになるのです」
「だから、暗くなったからでしょ」
「だから、それは子供の頃から知っています。そのあとがあるのです」
「はい、それが本題ですな」
「そうです」
「続けて下さい」
「坊さんが来ます」
「はあ」
「お坊さんです」
「この屋敷へ来るのですかな」
「いえ、外に出たとき、見かけるのです」
「夕暮れ時に散歩でも」
「はい、毎夕やっておりますが、冬場は暮れるのが遅いので、ほとんど夜歩きになりますが」
「僧侶を見かけると」
「そうです」
「スクータは」
「いえ、徒歩です」
「服装が僧衣」
「そうです」
「それで位が分かるでしょ。どんな僧衣ですかな」
「時代劇に出てくる雲水のような」
「見かけるだけですかな」
「はい、しかしこの近くにはお寺はありません」
「頻度は」
「三日に一度は見かけます。時間帯や場所はバラバラです。私も同じ道を歩かない場合があるので」
「じゃ、僧衣で散歩をしている人でしょ」
「そんな人は近所では聞きません。もしそうなら町内の噂で耳に入ると思います」
「じゃ、遠くから来ているのでしょ。長い目の散歩をしている人」
「世界が変わると言いましたね」
「はい、聞きました」
「その坊さんが見たあと変わるのです。だから夕暮れ時の変わり方とは違います」
「どう変わるのですかな」
「だから、妙な感じになる程度なのです。日は落ちたといいましても、まだうっすらと明るい。これだけでも夕暮れどき独自の怪しさのようなものはありますが、さらに深みを増し、この世かあの世か分からないような、妙な境目のような風景になるのです」
「それで、真っ暗な夜になった場合はどうですか」
「まだ続いています」
「暗いのに、風景は見えますか」
「ですから風景じゃなく、空気そのものが違うような」
「その坊さんを見なかった日はどうですか」
「何ともありません」
「日暮れ坊ですなあ」
「早いですねえ」
「いやいや、そういう妖怪がいるのです。その状況なら日暮れ坊しかいません。あとは釣瓶落としもいますが。これは歩けるかどうか分かりません。釣瓶の縄に掴まった状態ですから。上下は得意だが、水平移動は無理かも。井戸に出るからそれと分かるのですが道端で見ると、得体の知れないバケモノですよ」
「その日暮れ坊を見た人はどうなります」
「近所で噂になっていますか」
「なっていません。なっておれば、博士に相談しません」
「じゃ、あなただけが見えると。または遭遇するというわけですな」
「断定はできませんが」
「日暮れ坊は暗くなることを知らせる妖怪でしてね。それだけです」
「いや、知らせてもらわなくても見れば分かりますよ」
「子供相手ですよ。日が暮れてもまだ外で遊んでいる子供に日暮れ坊が出るぞと脅していたようです。だから、実際にそんな坊さんがいるわけではありません」
「それを私が見たわけですか」
「そうです」
「しかし、空気が変わったように感じました。夜の帳が降りる頃なので当然でしょうが、それだけじゃないのです。妙に生温かく、何故か懐かしいような」
「それは心象風景に近いものでしょうなあ」
「しかし、確かに坊さんを見たのですが。これはどういうことです。私の幻覚ですか」
「それらしい人が歩いていると、坊さんに見えただけでしょ」
「そんなものですか」
「だから、心配するようなことではありません」
「幻覚じゃないのですね」
「見間違えでしょ」
「その日暮れ坊、本当はどんな妖怪なのですか」
「まあ、人生の暮れを知らせてくれる妖怪です」
「じゃ、私もそろそろ」
「まだ、大丈夫ですよ。その前に死神が先に姿を現します。お寺さんは順番的には最後なので」
「はい、分かりました」
 妖怪博士は紅茶をぐいと飲んだ。かなり冷めていたが、一気飲みをしたためか、葉が気管に入ったのか、咳き込んでしまった。
 その咳を聞いた老人は、お礼を渡すことを思い出した。
「あ、失礼しました」
「いやいや、いいお手前で」
 老人は礼金を封筒に包んだ。
 咳払いで催促をしたわけではない。
 そして屋敷を出るとき、自分も坊主のようなものかもしれないと思った。こうしてお布施のようなものをもらえるのだから。
 そして戻り道、封筒を開け、指で紙幣を探ると二枚ある。二万円のお布施。これは多いと思い、水銀灯の下で、確認すると、二千円だった。
 がっかりしたはずみで遠くを見ると、向こうの水銀灯の下に人が歩いているのが見える。僧侶だ。
 妖怪博士は小走りで、そこまで行くが、もう姿はなかった。
 
   了
 

 


2019年2月24日

小説 川崎サイト