小説 川崎サイト

 

思ひ出


「今日はどんな話をしましょうか。毎日なので、もう話すこともないのですが、実は色々とあるにはあるのです。でもお話ししても退屈なだけなので、控えているだけです。また同じ様な話ですが少しだけ違う。この違いがいいのですが、違うところはほんの一部。これでは退屈でしょ」
「いえいえ、まだ話されていないことがあると思いますが」
「昔の思ひ出。さあ、思い出として語れるのは他にありましたかなあ」
「大事な話をほとんどされていません」
「そうでしたかな。まあ、人に聞かせる話ですからねえ」
「僕には話していただけないのですか」
「ほとんど話したじゃないですか」
「いえ、あの話については、ひと言も触れておられません」
「それはまだ思ひ出になっていないからですよ。途中で切れてしまいますからね。全部終わってからお話ししますよ」
「実はそれを聞きに来たのです。今までのお話をそのため我慢して聞いていました。いつあの話が出るか、いつ出るかと期待しながら。しかし一向に出ないようなので、今日は何とか聞きたいと」
「困りましたなあ」
「いつかは誰かに話しておくべきでしょ。秘密は守ります」
「そういう人に限ってペラペラペラペラ喋るものですよ。あなた、聞きたい理由は、それを公開したいからでしょ」
「しません」
「じゃ、何ですか」
「興味がありますので」
「興味本位で聞く。それは無理です。もう少し敬意を払ってもらわなければ」
「しかし、世に知らせた方がいいのではありませんか。このままでは誰の記憶にも残らないまま終わってしまいます。公表はしませんが、一人ぐらいには漏らしてもいいでしょ。それで、誰かがそのことを覚えていることになりますから。その誰かとは僕ですが」
「昔はねえ、妙なことがあったのですよ。今よりもね」
「はいはい」
「それが今も続いているので、なかなかお話しはできないのですよ」
「今もですか」
「おそらく」
「しかし、是非とも、その話を」
「まあ、私のつまらん話を毎日毎日聞いて頂いたお礼といってもなんですが、あなたがそれが狙いだったのなら、聞き賃としてお話ししましょうか」
「やっとその気になられましたか」
「確かに、私が墓場まで持ち込んでは、そんな事実があったことは永遠に消えてなくなるでしょ。しかし、その方が本当はいいのですがね」
「もう、前置きはよろしいので、是非、お話しを」
 老人はその話を延々と続けた。非常に長い話で、半日掛かった。
 数ヶ月後、その聞き役は消息を絶った。
 それを知った老人は、やはり、あれはまだ生きており、終わっていなかったと知った。
 そして聞き役に悪いことをしたと後悔した。
 
   了


 


2019年2月26日

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