小説 川崎サイト

 

キセル坂


 山の下の丘陵地帯だが、まだそこは山ではないが、山の一部でもある。つまり麓。平地からいきなり山になるのではなく、何段階か踏んで山岳地帯に入る。
 平田は坂道があるとは思いながら、真っ直ぐ行きたいので、そのまま丘へ向かった。ここは市街地に近く、普通の住宅や店屋もある。そのため、山に登っている気はない。ただ単に坂がきつように思える程度。
 季候がよくなったので、適当な駅で降りて、そこから散策を始めたのだが、ゴチャゴチャした市街地ではなく、自然が残っていそうな方角へ向かった。自然とそれは山側になる。見るからに緑が遠くに見えている。
 それなりに高いところまで来たのだが、田畑があり、池もある。農水用の溜池だろうか。しかしフェンスで囲まれ、使われていないようだ。小高い場所だが田園地帯だったのだろう。棚田というほどの勾配はない。
 このまま進むと、どんどん山に近付く。もうその懐の中に飛び込んでいるようなもので、山そのものが視界にない。遠くから見ていたときにあった山が見えない。近付きすぎると、そんなものだろう。
 溜池を過ぎた辺りから家や店も少なくなるが、斜面にはびっしりと家が建っている。結構複雑な地形で、小さな丘のようなものが不規則に連なり、また飛び出した小山もあるが、これはもう山だろう。そこは傾斜がきついのか、家はない。
 溜池から少し上に行ったところに小さな畑がある。家庭菜園に近いが、それを耕している人はいかにもな農夫。ということは農家がまだ残っているはずだが、それらしい家の屋根は見えない。目にする限り、どの家も今風。
「キセル坂へ行きましたかい」
 少し離れているが、その農夫に声を掛けられた。
「いえ」
 と大きい目の声で返したのに、農夫は聞き取れないようで、近付いて来た。
「キセル坂を見に来たのでしょ」
「いえいえ」
「この辺りじゃ見るものといえばキセル坂程度ですからなあ」
「何処にあるのですか」
「目の前に見えておる」
「あの山ですか」
 その山は勾配がきついのか樹木で覆われているだけで家はない。その登り坂のことだろう。
「キセル坂って、何ですか」
「坂がきついので、一服したくなる。それだけだよ」
「上には何があります」
「何もないよ」
「キセル坂が名所なんですか」
「まあな」
「坂がきつい山道なんて、いくらでもあると思いますが」
「まあ、行ってみなさい。登れば分かるから」
 一寸長い階段を何段も上らないといけない山寺程度の長さしかない。坂だと思うからきつい。階段だと思えば、それなりの覚悟で登るだろう。
 散策人は真っ直ぐに伸びた坂を登り始めた。スキーのジャンプ競技ができそうなほど、真っ直ぐだ。
 途中で、すぐに息が切れ、一服する。キセル坂というのだから、刻み煙草でも、ここで一服したのだろう。
 しかし、これはおかしい。自然にできた道ではないだろう。真っ直ぐすぎる。まるで崖崩れで、禿げたような。
 坂の中程から先は、砂や小石が多くなり、足場が確保できなくなる。これは坂道ではない。坂だが、道ではない。
 つまり滑り台を下から登っているのに近い。
 散策人は流石に諦めた。四つん這いになって登る坂道など、散歩にはふさわしくないし、服も汚れる。それにずり落ちたとき、すりむける。それを想像しただけで、尻の穴がピクッとした。
 しかし、その心配は当たった。もう登る気はないので、引き返そうとしたのだが、下りのほうが実は危険。
 案の定滑り台をやってしまった。
 
   了



 


2019年3月14日

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