小説 川崎サイト





川崎ゆきお



 駅から家までの道がある。作田は会社の帰りに通る道だ。
 家からの通学路はあるが、通勤道はあまり聞かない。駅は学校のような目的地ではない。そこから通勤先へと向かう。
 郊外にあるその駅は、都心部と繋がっている。通勤通学の客がほとんどだ。その便利さで作田もこの町に住んでいる。
 都心部まで三十分だが、家まで徒歩二十分だ。
 もう十年近く、この二十分の通勤道を歩いている。
 その帰り道だった。
 もう日が暮れ、周囲は暗い。つまり夜道だ。
 異常な音がする。低く響き渡り、耳なりのように鳴り続ける。
 作田はすぐにそれが何であるのかを知る。昨夜にはなかった音だ。
 しばらく歩いても鳴り止まない。
「もう、そんな季節か」
 田に水が入ったため蛙が鳴いているのだ。インスタントラーメンに湯を入れたように、今まで眠っていたものが動き出す感じだ。
 よく見ると、朝の風景とは違っている。洪水が起きたように土地が水に浸っている。
 田は多くはないが、住宅地の間に点在している。もともと水田地帯だった場所なのだ。
 作田が引っ越してきた十年前は、田圃の中に分譲住宅が浮かんでいた。今は逆転している。
 都心の下町で生まれ育った作田は、蛙の合唱に驚くと同時に、喧しくて眠れなかったことを思い出す。
 しかし、翌年からは快く聞くことができた。大合唱が鳴り響いているのだが、聞いていない場合が増えた。音の正体が分かれば気にならない。
 作田は季節の音を拝聴しながら家路についた。
 翌朝、水田を確認できた。梅雨入りしたものの、かんかん照りの朝だった。
「蛙が鳴くと雨が近い」
 農村で育った祖父の言葉を思い出す。下手な気象情報より当たるかもしれないが、蛙の鳴き声と天気とを関係付けたことは作田にはない。
 雨だと通勤が面倒な程度で、農家ほどには雨は必要ではない。
 帰り道、また蛙の合唱を聞いた。
 昨夜より鳴き方が派手で、異常とも思える大音響となっていた。
 それは狂気じみた音で、合唱ではなく、各々の蛙が、勝手に狂い鳴きしている感じで、リズムも崩れていた。
 この時期、蛙が泣くのは求愛活動だろう。
 まだ、相手が決まっていない蛙が泣き叫んでいるのかもしれない。悲惨な声だ。
 作田は立ち止まって聞いていると、水の具合を見に来たらしい農家の親父が「今夜は美人が登場したんだよ」と、作田に告げる。
 作田は、美人の蛙を想像した。
 
   了
 
 
 



          2007年6月28日
 

 

 

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