小説 川崎サイト

 

雨桜


「今日も雨ですねえ」
「桜のつぼみが赤くなり始めてますよ」
「花見も近いですが、最近雨が多いので、どうなんでしょう」
「晴れ間にさっと人が集まりそうです」
「やはり花見時期も雨でしょうかねえ」
「今年の春は雨が多いとか」
「ワンチャンスですなあ」
「雨でも桜は咲いているでしょ。しかし花見客はいない。雨だと中止。一人で来る人も雨だと避ける」
「しかし、聞いたことがあるのですがね」
「え、何をですか」
「雨桜」
「枝垂れ桜の別名じゃないのですか」
「いえ、雨が降ると映える桜ではないかと」
「品種は限られているでしょ。そんな品種があったとしても、何処で植わっているのか分からない」
「いえ、普通のソメイヨシノです。ごくありふれた」
「ほう。じゃ、普通に雨の日に見に行けば、それで済むこと」
「だから雨の日だと、それが雨桜となるわけです」
「要するに雨の日の桜という程度でしょ」
「聞いた話なんですがね、わざわざ雨の日に花見をするんです」
「何を聞いたのですか」
「これは雨の日に傘を差して一人で花見をしている人が始まりだと聞いています」
「ほう」
「まあ、それが家元のようなものでしょ」
「花見の家元、そんなもの聞いたことがない。生け花じゃないしね。それに、雨桜の家元なんて、さらに聞かない」
「これはですねえ。雨の降る日でも花見はできるということなんですよ」
「ほう」
「むしろ、雨が降っていないと、雨桜にならない」
「雨の花見ねえ。傘を差して、立ったまま」
「歩いてもいいですよ。ただ地面は濡れていますから、車座は無理。まあ、立ち飲みならいけますがね」
「傘を片手に飲む。酌は」
「自販機で売ってるやつでいいでしょ。酌の必要はない」
「あては」
「傘に引っかけておけばいいのです。コンビニ袋の中にあてを入れておけば」
「片手に傘、片手にカップ大関、どうやっておつまみを摘まむのですかな」
「だからこれが難しいので、家元がおられるのですよ」
「どうするのです」
「カップ大関は脇で挟む。傘は肩で挟む。これが作法」
「ほう」
「しかし、雨桜のベテランは何もしないで、傘だけ差して桜を見ているだけ」
「そちらの方が家元らしいですなあ」
「立ち行に近い」
「ほう」
「立ったまま正座」
「座ってないじゃないですか」
「だから、黙想状態」
「はい」
「目を開けたまま、じっと桜を見ているが、風も吹き、雨の滴もあたり、変化が大きい」
「ふむふむ」
「それをじっと見ていると、気がおかしくなります」
「駄目じゃないですか」
「また、桜色をじっと見ていると、目もおかしくなります。微妙に動いていますからね。そうしているうちにあらぬものが見えてくる」
「ほう」
「これは雨桜行のようなもの。それをやっている人がいましてねえ。そこから流行りだしたのですよ」
「その人が家元なのですな」
「違います。それを見た人達が、まあ、家元のようなものですが、家元などいません。花見流派の一つですが、家元はいない。ここがいいのです」
「聞いた話しにしては、詳しいですねえ」
「それだけじゃありません。これは一種の行。宗派が生まれるかもしれませんよ」
「それって、あなたが勝手に言っていることでしょ。聞いた話じゃなく」
「分かりますか」
「分かりますよ」
「はい。ご無礼を」
 
   了




 


2019年3月22日

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