小説 川崎サイト

 

職務放置


 篠原町の駅裏に古いビルが結構ある。西洋風レトロビルではなく、戦後適当に建てたような三階程度のビル群。エレベーターなどはなく、雑居ビルだが店舗よりも事務所が多い。といってここはビジネス街ではない。駅の正面はドーナツ化現象で、駅以外が目的で来る人は希。
 吉田の就職先は、この古ビル内のオフィス。面接などは都心で受けた。高層ビルで、ビジネス系の催し物や会場になることが多いので、馴染みのあるビル。篠原町にオフィスがあるとは知らなかったのだが、都心から近いし、辺鄙な場所ではない。
 その会社、篠原の町とは絡んでいない。篠原でないといけないことはなく、何処でもいいようなもの。仕事はほとんどがセールス系で、外回りが多い。それなら、もっと都心部にあれば便利なのだが、方々に出向くような仕事ではない。貿易関係らしいが、よく分からない。
 マッサージ店の横にオフィスの入ったビルがあり、入口があるだけ。その横は中高年婦人向けの衣料品店。若い人は一人も歩いていないような場所。
 オフィスは二階の突き当たり左にある。中は二部屋あり、奥の小部屋に上司がいる。室長だ。
「吉田君だったかね」
「はい」
「初めまして。竹中です」
「はい、よろしくお願いします」
「ディスクを空けておいた。パソコンは使えたよね」
「はい」
「ソフトはインストールしてあるから、適当に使ってね」
「はい」
 上司の竹中は小部屋に入った。
 そのあと、出てこない。
 昼頃になり、やっとドアが開く。
「そのソフト、使える」
「エクセルとワードでしょ」
「それと通信ソフトが入っていたでしょ」
「あ、はい」
「既に合わせてあるから、そこの掲示板をたまにチェックしてね」
 上司は昼を食べに出たが、そのまま夕方まで戻ってこなかった。出るときの服装はスーツだが、手ぶらだった。
 戻ってきた上司は、小部屋に入り、鞄を提げてすぐに出てきた。
「じゃ、帰るときは鍵を掛けてね」
「はい」
 吉田はいくらでもスペアが作れそうなキーを渡された。予備だといって都合二つ。
 それで、初日、吉田は何をしたのかというと、留守番だった。
 人が来れば、担当の者がいないので、分かりませんとだけ答えることになっていた。しかし、誰も来ない。
 帰りしな、通信ソフトで掲示板を覗くと、書き込みがあった。仕事とは関係のない、競馬の話や食べ物の話とか芸能人の話。特に仕事に関係している話は何もない。何かを共有するためのものだと思っていたのだが、そうではないようだ。
 しかし見たことがない通信ソフトで、これはオリジナルかもしれない。フリーソフトかもしれない。
 翌日も、同じパターン。
 三日ほど経ったとき、人が来た。上司は昼を食べに行ったまま、まだ帰ってこない。
 担当者がいませんので、と、教えられた通りにすると、訪問者は去って行った。特に表情に反応はない。
 ワープロも表計算ソフトも、使う用途がない。スケジュールもない。
 給料日になると、振り込まれていた。仕事らしい仕事などしていないのに、そこそこの額だ。これでボーナスなども出るらしい。
 吉田は暇なので、本を読んだり動画を見て過ごした。
 しかしたまに人が来るので、居眠りはできない。
 上司は午前中はいるが、午後からは出ている。何処へ行っているのかは分からないが、長い昼の休憩だ。
 吉田の昼は一時間と決まっている。人が来るかもしれないため。
 ある日、人が来た。
 吉田と同世代で、まだ若い。いつものように担当者云々と答えると、すぐに帰ろうとした。
「伝えておきますよ」
「あ、いいです」
 その後も、人が来るたびに用件を聞いたのだが、誰も答えないで、さっと帰ってしまう。
 しかし、暇で仕方がない。閉じ込められているようで。
 だが、仕事ならそんなものだろう。
 半年後、上司が消えた。そのため、吉田が室長という肩書きをもらえることになり、あの小部屋に入ることができた。そして新入社員が一人来た。
 小部屋にはソファーがあり、そこで寝転べる。前任の竹中室長が残したままの漫画の本がずらりと並んでいる。難しい本もある。これはその前の人のものだろうか。すると漫画も前の人のかもしれない。
 そして昼になると、食べに行くことにしたのは、いままで通りだが、そのうち、徐々に戻るのが遅くなってきた。
 最近はポケットにカメラを入れているので、それで撮影に出掛けた。結構遠いところまで行ける。
 夕方までに戻ってくればいい。
 会社も社員も、職務を放置しているようなものだ。 これで何も起こらなければいいのだが、と藤田は思った。
 
   了
 


 


2019年3月23日

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