小説 川崎サイト

 

山中の遊郭


 里の村人から山入りと呼ばれている村がある。この村の村なのだが、普段は山仕事の人が立ち寄る程度。そこから山へ入ることから山入りと言われている。まあキャンプ地のようなものだが、その山入村は少し奥まったところにある。この山は村のもの。だから山入村も村の一部。
 だが、戸数が多い。山仕事の道具や、一時置き場程度の規模にしては家の数と合わない。納屋程度のものでいいはず。そしてどの家も大きい。二階屋もあり、尖った屋根の裏にも人が住めるほど。
 山入村は分かりにくいところにある。奥山へ向かう山道沿いではなく、一旦下り、そこから山襞に分け入ったところにある。
 この村で生まれた子供でも、山入村へ行くのに迷うほど。非常に分かりにくいところにある。
 これができたのは戦国時代。もう使わなくなったのはその末期。村といっても畑が少しある程度。
 つまりここは避難所。この村の周辺でよく戦があり、強奪などの難を逃れるため、山へ逃げ込んだことから始まる。それが何度もあるので、山中で多くの村人が野宿していたのだが、戦が長引いたとき、一寸した小屋を建てた。また、万が一ここまで兵が来たときは、ある程度防げるように、入口に土塁を築いた。一寸した城郭だ。しかし、この城郭、後で呼び名が変わる。
 そして戦が起こると、村人全員が住めるまでになった。家が大きいのはそのためだ。そこに詰め込むわけだ。
 山奥というのは逃げ込みやすいが暮らしにくい。元々里に住んでいたのだから、山育ちの人々とは違う。
 この避難先は山奥に近い地形。つまり見付かりにくい。
 江戸時代になると、流石に用はなくなった。それで、山仕事のときに寄る程度になるのだが、大勢の人が入れる家々があるため、よからぬことで使うものが出てきた。
 それを注意する人もよからぬことで使っていたので、見て見ぬ振り。
 この悪所へは近隣の村々からも人が来るようになる。
 人気のない山中で、煌々と明かりが灯り、三味や太鼓の音まで聞こえる。
 もし、それを知らない人が、偶然そこへ立ち寄れば、これは明らかに化かされたと思うだろう。
 
   了



2019年4月3日

小説 川崎サイト