小説 川崎サイト

 

桜流し


 桜並木も満開で、いい感じなのだが、高峯は体調が悪い。これはたまにある。気温が上がったためだろうか。暖かくなることは有り難いのだが、空気が変わるのか、それで調子が悪くなる。水槽の水替えをしたあとの金魚のように、水が変わるように空気も変わるのだろう。
 しかし、折角の休みで、しかも晴れており、桜も満開。これは出掛けないともったいない。他に用事はなく、これといった予定もない。だから花見という単純なものをネタにするしかない。ネタがないときは季節物や行事物に便乗するに限る。
 しかし、他に何もなく、花見しかないというのは淋しい話だ。特に見たいものや行きたい所もない。誰かと遊びに行くという約束もない。だから季節の風物をそのまま受け入れられる。本来なら花見どころではないほど何かをしているはず。それが外での用件なら、そのついでに桜を見る程度。ああ、桜も咲く頃かと片隅で思いながら。
 しかし、今は片隅ではなく、桜がメイン。他にない。
 それで出掛けようとしたのだが、体調が悪い。これがブレーキになるが、少し調子が本調子でないだけ。だが、こういう日に出掛けると疲れるだろう。
 しかし、他のことでは決心が鈍く、立ち上がりが遅いのだが、桜ならすぐに外に出ることができる。近くの歩道に出れば、そこは桜並木。かなり長い。
 すぐに花見ができるので行けるだけ行って疲れてくれば戻ってくればいい。その程度の体力は十分ある。
 純粋に花見だけのために外出する。これはいいかもしれない。
 足は重く、息が少ししんどいのは暖かいから暑いになってきたためだろう。それに少しだけ体調の悪さが加わる程度。
 並木のある歩道は家を出たときから見えている。桜も見えている。だから満開を知った。
 そこまで出て、歩きやすい歩道に入る。同じように歩いている人がいる。いずれも桜目当てだろう。健康のために歩いている人達ではなさそうなのは服装で分かる。カメラを首からぶら下げた婦人もいる。ぶらぶらするのか、カメラに手を当てている。手かざしで写す小さなミラーレス一眼だ。
 そういう人達とすれ違いながら、何人かに追い越されたが、まだ進めそうだ。桜並木は遙か彼方まで続いている。
 桜を見ながらただただ歩いているだけ。そのうち飽きてきて見なくなるが、体調が悪いとはいえ、こうして並木道を人並みに歩けているのは幸いだろう。
 すれ違う人、追い越していく人が少なくなり、横の車道の車もピタリと消えたようになる。信号の都合でたまにそんなタイミングがあるのだろう。
 一体何が災いの元だったのかは分からない。理由が分からないが、高峯はもしかして、と勘づき出す。
「桜流し」
 こんなに長い桜並木だったのだろうか。結構続いているのだが、続きすぎ。遠くを見ると、桜のもやっとした色が何処までも続いているではないか。そして、人も車も消えた。人家はあるが、記憶にない。
 遠くまで来すぎたようだ。
 体調が悪いはずなのに、疲れはない。足もしっかりしているし、息も切れない。少し汗ばんでいるが、歩けばそんなものだろう。
 何処までも何処までも続く桜並木。これはどう考えてもあり得ないのだが、それを考える頭が少しずつ弱くなり、ただただ歩いているだけになる。
「桜流し」
 道に流されているのだ。水ではなく、川ではなく、桜並木に。
 誰もいない満開の桜並木、どんどん気がおかしくなり出したが、足は止まらない。
 
   了
 
 
 


2019年4月7日

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