小説 川崎サイト

 

説明不足


 ある方向へ向かい続け、針の穴に糸を通すような細かいことをしていると、逆方向、反対側へ向かいたくなる。それは狙いとは逆。正反対のもの。
 これは一種の解放になる。拘ってきたことを解き放せ、自由になる。意外とそれが初期の目的にかなっていたりすることもある。あまりにも固執、凝り固まり、一点に向かって進んでいたためだろう。逆に本質を見失う。ただ、それをやっているときは、本質に向かって丁寧にやっているのだろう。
 初期の頃は自由だった。どちらへ向かってもかまわない。本人次第。望む方向があれば、そちらへ向かえる。それが途中で行き止まりになっても、行けるところまで行く。その過程で得られるものも多いだろう。それで初期の頃よりも詳しくなる。
 そして本質に迫るのだが、本質はさらに逃げる。
「じゃ、今までやってきたことを捨てて、元の木阿弥に戻ったのですか」
「あ、はい」
「それはもったいない。今まで積み重ねたことを捨て去ることになるのに」
「その方が軽くてなって気持ちがいいのです」
「しかし、もったいない。振り出しに戻るわけですから、今までのことが全て無駄になりますよ」
「そうですねえ。無駄でした。しかし、それで見えてくる世界があるのです。それが見えたのです」
「何を」
「さあ、何だったのでしょうか。そのときは覚えていたのですが、忘れてしまいました」
「なんと曖昧な」
「ふと気付いたのでしょうねえ」
「ほう」
「何に気付いたのかは分かりませんが」
「分からないはずはないでしょ」
「上手く説明できません。気付いたというより感じたのです。それは一瞬でしたが」
「要するに気が変わったのですね」
「まあ、一般にはそう言われていますが、これがまた気持ちがいい。すっきりしました」
「ほう。何かよく分かりませんが、たまにいますねえ。その道でのエリートの人が、ある日突然転職して、ぜんぜん違うことをやり始めるとか」
「それとはまた違うのです。やっていることは同じです」
「じゃ、他へ行くわけじゃないと」
「はい、この道を進みますが、もっと自由にやりたいのです」
「よく分かりませんが、まあ、落伍したということですね」
「はい」
「期待していたのですが、残念です」
「はい」
 人の気持ちは変わる。しかし、それを説明するのは難しい。
 
   了



2019年4月14日

小説 川崎サイト