小説 川崎サイト

 

馬喰饅頭


 人付き合いというのがあり、世話になっている人の頼みは無下には断れない。今もよく面倒を見てくれる親分だ。しかも将来もそれが続くはず。そういう人は大事にしたい。そのため、白川は頼みを聞き入れた。それほど難しい話ではなく、見に行くだけ。
 その組織の長老で、今は引っ込んでいるが、その様子を見てくるだけでいい。本来なら親分が伺うところだが、その代理として白川が行く。注意点は何もない。無事に過ごしているかどうかだけの確認。だから用事はそれだけ。
 辺鄙なところに住んでいるため、親分も行くのが面倒。それで半日潰れるので。
 白川なら半日潰れても問題はない。時間的な余裕は十分ある。ただしこれは仕事ではない。
 恵実氏町という郊外の便の悪いところにあるのだが、ほとんど山際だ。
 この恵実氏町、馬喰饅頭で有名。まあ、馬の糞のような形をした茶色い饅頭で、ゴマ入りの蒸しパンを硬くしたようなもの。どう見ても馬のクソだが、この悪趣味のような土産物が受けたのか、それなりに有名。今も作られ続けているので、需要があるのだろう。
 恵実氏町は昔の街道沿いの宿場町。今は旧街道に民宿が並んでいる。温泉は出ないが、旧街道の名残がある。
 白川は隠居の顔を見に行くだけでは面白味がないので、その宿場町跡の見学や馬喰饅頭を買うのを目的とした。一寸した行楽にすり替えたのだ。これで、ぐっと行きやすくなる。
 業界の隠居が住むのはその旧街道から少し山に入った所で、白川はこれで三度目だ。山荘規模でも別荘規模でもない。空いている農家を借りているだけ。五戸ほど近くに集まっている。この地方はそういう小規模な集落が多い。広い土地がないので、分散するのだろう。
 一人暮らしの隠居だが、お隣さんがいるので、孤立しているわけではない。
 白川は先に旧宿場町へ寄り、馬喰饅頭を土産に、山麓の集落へと向かった。バスはない。
 この隠居、もう業界での力は何もない。しかし白川の上司はこの隠居を大事にしている。上司にとっては親分だったのだろう。義理堅い人だ。しかし、やはり面倒なので、自分では様子伺いには行かないが。
 五戸が集まっているのだが、その一番奥に一戸だけ離れてあるのが隠居の住処。
 三度目なので、小径から農家への低い階段を上り、庭を抜け、玄関口で声を掛ける。
 高い声が戻ってきた。言葉にはなっていない。とりあえず声を発して返事をしたのだろう。
 白川がガラス戸をガラガラッと引くと、黒いものが飛び出してきた。
 馬だ。
 隠居が馬になったわけではない。それならもの凄い話になる。
 まだ子馬のようだ。
 続いて隠居が姿を出した。前回見たときよりも顔が長くなっているのは痩せたためだろうか。しかしもの凄い馬ズラだ。
 聞くと子馬をもらい受け、ペットとして飼っているらしいが、大きくなると飼えなくなるらしいが、子馬は懐いているようだ。
 そして土産物の菓子箱を鼻で突いている。凄い鼻息だ。
 馬喰饅頭。馬が饅頭を好むとは思えないが、食べたいようだ。
「いいものを持ってきてくれましたねえ」
「いえいえ」
「私は無事だから、心配しないように伝えなさい」
「はい」
 子馬は馬喰饅頭をかじっていたが、食べようとはしない。遊んでいるだけ。
「では、これで失礼します」
「ああ、ご苦労さんだね」
 用件はこれで終わり。何事もなくすんだ。
 白川は戻り道、またあの旧宿場町の土産物売り場で馬喰饅頭を買い、そこから観光客に交じり、少しそのあたりを散策して帰路についた。
 
   了
 


2019年4月19日

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