小説 川崎サイト

 

三角山の秘像


 村の聖域がある。正しくはお寺の聖域。境内から少し離れているが、そこに山がある。ピラミッドのように見えるが、そうではない。こういう山は三角山とか呼ばれているのだが、形が分かりやすいので、いい目印になる。また土地の名と富士を絡ませて、何々富士になることもある。
 聖域はこの山。村の寺は神社でもあり、くっついているが、一応横に神社は神社として独立した社を持っている。分離が五月蠅かった時代にできたものだろう。
 どちらも村のもので、余所者が住職になったり神主になったりしない。また何処の村にもあるような規模なので、五月蠅く言う人はいない。
 むしろ誰があとを継ぐかで問題が起こるのだが、それは昔の殿様のように血縁で決まる。跡目争いがないように、最初から長男か長女が継ぐ。
 そういうありふれた村に聖域があるのだが、これは一寸妙な話になる。
 村人でさえ立ち入りが禁じられている場所だが、それには謂われがある。まあ、そういうものがなくても立ち入れない聖域を持つこともある。別に隠し事はない。そして聖域内には何もない。ただの空間。それでも十分機能する。
 しかし、この村の聖域には具がある。具体的なものを保存している。封印というやつだ。
 当然何かが封印されているということを知られるだけでもいけない。だから村でもほんの一握りの人だけが知っている。それは三角山の頂上にある石室。これは作ったものだ。まあ、古墳の石室のようなものが盛り土の上にあるようなもの。
 その石室は山頂まで行かないと見えないが、井戸のようなもの。地上に出ているのはそれぐらいの高さ。
 その中に、秘仏が隠されているという話だが、神像かもしれない。それが寺や神社内ではなく、外に置いている。余程危険なものなのかもしれない。
 三角山はそのためだけにあるようなもので、これは村の山なので、何を建てようと問題はない。
 ただ、建てるのではなく、埋めている。
 代々住職と神主だけに伝わっていることであり、それは秘して語らずだが、跡継ぎにそれを聞かせるとき、盗み聞きされたのだろう。これは病床の住職が臨終前に語ったため、家族も聞いていたのだ。だから盗み聞きしたわけではない。
 そこから漏れ出した。
 秘仏の正体が神像でも仏像でもなく、その弟子。つまり釈迦の弟子か眷族が祭られていることが分かったが、その頭がおかしい。顔ではなく頭部がおかしい。
 人ではないのだ。
 村人は三角山には近付かないが、これは慣わしのため。ただ神山とか、聖域と聞いているだけ。それが徐々に何やら得体の知れないものが封印されているということになり、調べることにした。単なる好奇心だ。怖いものが封印されていたとしても、何が封印されているのかは見ないと分からないし、またそれに纏わる詳しい言い伝えもない。ただ、そういう像を山に祭ったとあるだけ。石室風なので、埋葬したことになるのだが、それが外に出ている。露出した石の棺。
 この石室を作ったときの話はある。要するにメンテナンスが必要ではないため、石組みの祠を建てたことには分かっている。だが形が御霊屋というより、四角い棺桶のようなもの。別の見方をすれば箱。
 それで、村人は聖域の三角山に登り、その頂上にある井戸程度の大きさのものを開けてみた。屋根にあたるところの四角い石が重いので、これは一人では開けられない。それが二枚あり、それを外すと、金具で補強した木箱が出てきた。千両箱のようなものだ。
 それを開けると布でぐるぐる巻きとなった人形のようなものが現れ、木乃伊の包帯を解くように、それを外すと、仏像だった。全身像だが、よく見ると、顔が蛇。しっかりと僧衣をまとっているようだが、頭部がいけない。
 誰がこの村に持ち込んだのかは分からない。
 しかし、この蛇頭の仏像、正しくは釈迦の弟子の像だが、それが何であるかが分かれば、正体が分かる。
 村人の中に博物館に勤めている人がおり、そういうことに詳しい職員に見てもらった。
 三角山から出たのは蛇頭だが、鼠、牛などもいるらしい。つまり十二支。干支だ。それらは時計と同じ。これは方角も表しており、それの守り神、武神のようなものだろう。東西南北の四天王よりも、方角が細かい。
 それがどうしてここにあり、聖域まで作って隠したのだろう。やはり蛇頭が気味が悪かったためかしれない。
 
   了
 

 
 
 


2019年4月22日

小説 川崎サイト