小説 川崎サイト

 

ご都合主義


 流れの中にある偶然性。これはじっとしていても出てこない偶然で、動いてみて生じる偶然。その偶然の意味するところは受け留め方次第。思わぬものと遭遇し、それがよいことだと幸いだろう。それで幸せになれるかどうかは分からないが、何かがそれで解決したり、道標が見付かったりする。その後、動きやすくなる。
 ただ、じっとしていると、偶然も受け身。何もしないこともしていることになるが、流れがない。あるにはあるが、あれからかなり時が立った程度の流れで、自分は動いていないのだから、時だけが動いている。そういう流れも、流れのうちだが、実際に動いてみての流れは、その中で偶然の出来事と多く遭遇しやすい。
 動くことによる流れにはストーリー性、つまり筋がつき、分かりやすい。シーンが変わったり、色々なキャラと遭遇することが、じっとしているよりも多い。
 一つの流れから別の流れが見えてきたり、また色々な偶然が重なり、設定が少し違ってくる。そういった偶然は流れに活気を生む。
 当然流れに飲み込まれてしまい、流されてしまうこともある。本来ではないところへ。
 しかし、本来そこへは行かないので、多様なシーンを体験できる。それはいいシーンもあるし、悪いシーンもあるが、悪いシーンの場合は、その流れから抜け出そうとするだろう。そしてそこでまた出合う偶然の出来事。これは起こるべきして起こるのだろうが、本人がそれに意味を見出せば、偶然と受け留めてしまう。意外なためだろうか。思いもしないものとの遭遇。
 まるで誰かが作ったような筋になり、よりストーリー性の高いエピソードは象徴性も高い。見事な偶然の重なりなどはそれだろう。しかし、これも本当は偶然ではないことが多い。そう受け留めてしまうこともまた流れ。
 流れが多くの偶然を生み出し、偶然がまた多くの流れを生み出す。これは忙しい。
 ストリー性が通り、キャラが立ち出すと、これはもう物語り。その最高峰は神話。これは強い。
 自分の頭の中で世界を作り上げているだけのことだが、これが強い。そして流れに説得力が生まれる。
 偶然の出来事は嘘臭い。偶然の多いストーリーは今一つ説得力に欠けるが、そういう偶然が起こることを期待している。偶然でしか助からないとか、偶然でしか出合えないとか。
 そういった期待される偶然は、説得力が欠けていても、結果オーライとなる。
 ご都合主義。そんな主義主張があるわけではないが、自分に都合がいいように事が運ぶのは万人が望むところ。
 どちらにしても、動きがないと流れも生まれにくく、その流れの中の偶然とも遭遇しにくい。
 
   了

 


2019年4月24日

小説 川崎サイト