小説 川崎サイト

 

人外境へ


 連休に入ってしばらくは部屋に籠もっていたのだが、それでは休み明け、いきなり人外境から一般社会に戻るのは厳しいと思い、坂田はとりあえず出掛けることにし、都会のターミナル駅近くの喫茶店で休憩していた。これでは部屋でいるときと同じだし、電車に乗っただけで、そのときも座っていたので、疲れてはいない。しかし、行く当てがないので、まずはそれを決めるため、喫茶店で一服していた。しかし、一応これで出掛けたことになるので、もう目的を果たしたようなもの。
 何処へ行こうかと思案中、聞こえてくる音楽がある。それが非常に懐かしい。何の曲なのかは分からないが、ただの演奏だけ。だからBGMだろう。
 聞いたことはないが、似た曲を思い出した。
 それはかなり前のことなのだが、ダンジョン内をウロウロしていた頃。最終目的地の地下最深淵部は遙か下で、まだ序の口にしか入り込んでいないのだが、油断すると一発でやられてしまう。雑魚キャラのはずなのだが、それが強い。必死で戦っても倒せない。
 だからモンスターと遭遇しないような通路を探しながら進んでいた。そのとき流れていた曲と似ているのだ。
 あの頃は身動きも取れないほど危険な状態が続き、一歩進むだけでも大変だった。一匹なら何とかなるが二匹同時に来られるとまずい。
 そのため退路の確保。つまり、もしものとき、通り道や隠れる場所などを常に頭に入れながら進んでいた。
 目的は何だったのかは忘れた。ダンジョン最深部に閉じ込められた姫の救出でも、魔界の蓋を閉めに行くでもいい。それよりも眼前の危機。この階層から下への降り口を見付ける事だけに集中していた。しかし、食べ物を見付けないと体力が落ちる。そのため、食べるものがありそうな場所を探す必要がある。ダンジョン内には亀裂があり、そこに水が溜まり、池や川のようになっている。そこに魚がいるのだ。そして釣り道具と、釣りのスキルを身に付けたので、まずは体力作りだ。そうでないと、モンスターと戦えるだけの体力や精神力が備わらない。
 あの頃は必死だったなあ。と、坂田は昔の冒険を懐かしんだ。実際には部屋に籠もってゲームをしていただけなのだが、時が過ぎると、まるでそんなことが人生の中であったかのように思われるのだ。
 そうか、冒険か。それを忘れていた。
 坂田は少し方向が見えてきた。しかし、それこそ、それは魔界、人外境へまた戻ることになる。それでは連休明け、すっと復帰できない。
 そうならないように人並みに連休を軽く楽しみ、人々の群れの中に馴染むために誰でも行くような行楽地へ行こうとしていたはず。
 ところが、喫茶店で休憩したとたん。もういいかと思ってしまう。適当にその辺で買い物でもして、帰ればいい。久しぶりの外食も、立ち食いそばでも、牛丼でもいい。一人だと入りにくい店ばかりなので、そうなる。
 しかし、その曲が坂田のテンションを上げた。それは一般的な行為ではなく、未知なる暗闇に入り込むダンジョン世界での冒険。人の世の世界ではなく、人外境。
 この都会の地下は、迷路のようになっているが、坂田は頭の中でマップが完成しており、迷うことはない。
 しかし、この地下街や地下通路はダンジョンに近いので、その気分を体験できる。それにはむりとに迷うことだ。直進後、次に交差するところで左を選び。次にまた交差するところで右へ進み。次に交差するところではそのまま直進する。あとはそれを繰り返す。
 通路とは目的地まで行くためのもの。この原則を先ず坂田は破った。通路を楽しむための歩き方。規則はあるがただの順番。何処へ向かうのかはやってみないと分からない。だから冒険なのだ。
 そして、ただ一人だけ、そういう目付きで、じぐざぐに地下街通路を進んでいった。当然トイレに入ってしまい、行き止まりだったりするが、そのときの規則もある。行けない方角があるときは前進するだけ、前進できなければぐるっと回ってまた前進。
 それを繰り返しているとき、来るものが来た。
 この地下街を全て踏破している坂田なのだが、少しブランクがあったのか、見かけない通路の入口に差し掛かった。新しくできたのだろう。
 未踏の深淵部。これだと喜び、坂田は入り込んだ。
 それを見ていた通行人は、壁にヤモリのように張り付いている人を見たという噂がある。
 
   了

 


2019年5月2日

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