小説 川崎サイト

 

五月の風の声


 連休疲れなのか久保田は体が重い。頭も重い。連休中ずっと休んでいたので、疲れるようなことはしていない。バッテリーは十分充電され満タンのはず。だからこれは体から来ているのではない。今日からまた会社へ行くためだ。連日のびのび過ごしていたので、ここから離れるのが億劫。このままずっとゆっくりしたいところだが、それでは社会人とは言えない。
 ではどう言うか。これは社会人とは会社員をほぼ差している。社会には色々ある。人が群れている場所だ。群れのタイプだけ社会はある。
 しかし、今のところ久保田にとっての社会は、会社しかない。ここが社会の全てのようなもの。ただ、そこは簡単に消えてしまうが、会社ならいくらでもある。
 学校を卒業すると、社会に出るともいうが、会社に行くとは限らない。問題なのは生計。食べるためには何らかの仕事をしないといけない。だが、仕事などしなくても食べることはできる。だから食べるだけのことではなく、社会生活。一人前の大人として社会生活を営むこと。だからこれはメインストリート。
 連休明け、仕事に行きたくないというのは、そこから外れてしまう。だから出勤する。
 そういうことをできる人が社会人。そしてほとんどの人はこれを外すと面倒なことになるので、実行している。あたりまえのことのように。
 久保田は連休明けに限らず、普通の休みの翌日でも、このことをいつも考えている。また仕事中もそうだ。この狭苦しいところだけで生きていくのが何となくしゃくに障る。世間は広いが、できることは狭い。行けるところも狭い。
 そんな難しい問題ではなく、ただ単に怠けたいだけ。その怠け癖が連休でさらに付いてしまった。もう別の世界に入っていたようなもの。
 そこは何処だろうと思うのだが、おそらく久保田自身の世界だろう。そこは結構狭いのだが落ち着く。
 自分の世界を求めて何処かへ飛び立つわけではない。何もしないでぼんやりしていたい。これがもし本来の久保田の理想だとすると、致命傷だ。
 五月晴れ、まだ鯉のぼりは泳いでいる。青葉の季節。勢いの良い時期。それとは逆に久保田は暗い。
 だが、そんなことを考えていても仕方がない。メイストリート、本道から外れると、外道になり、もの凄いリスクを背負うことになる。しかし普通に会社へ行くという行為は誰でも普通にやっていること。その内実は別にして。
 幸い寝過ごしていないので、余裕で出勤できる時間。
 この余裕で少しは気持ちの余裕も生まれた。それで、さっと用意し、さっと駅へと向かった。
 改札を抜ける手前で、ふと横を見ると、バス停がある。毎朝見ている駅前風景だ。
 ふらっ。
 この力は何処から加わったものだろう。改札へ直進しないで、横風を受けたように流された。後ろの人があれっという顔をし、すぐに割り込んだ。
 ふらふらっ
 久保田はバスターミナルへと流され、結構遠い目の行き先が出ているバスへと向かった。
 誰が向かわせたのだろう。
 それは五月の風の囁きだった。
 
   了


2019年5月10日

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