小説 川崎サイト

 

簡単に済ませる日


 福永には今日は簡単に済ませようという日がある。天気も悪く体調も悪いとか、気がもう一つ乗らないとか、理由は様々。この簡単というのは何だろう。
 簡単、簡易。世の中は簡単にはいかない。また自分自身さえも簡単ではないが、それを簡単にしてしまえということだ。簡潔というのもある。これは清くていいのではないか。余計なことをしないで、簡潔に。無駄口を叩かず、淡々とこなす。
 しかし、よく考えてみると、これが結構難しかったりする。くどくしつこく、粘っこくやった方が実は楽なのかもしれない。無駄な動きが多いのでその分休憩しているようなもの。遊びがかなり入る。
 今夜の食事は簡単に済ませる。これなら簡単そうだ。簡単なものを食べる。または作ったり買ったりする。これは軽食とは限らない。腹が減るので何か食べないといけないので、食べる程度。おかずとかに拘らないで。
 美味しいもの、好きなものは遊びが多い。楽しむことが入っている。
 福永はこの簡単に済ませることが、実は最大の目的であり、境地ではないかと、ふと考えた。これはできるようでできるものではない。だから、簡単に済ませたいような気分のとき、できることではないような気がするが、簡単なことだけに、それほど体力も気合いもいらないだろう。すっと簡単にやってしまえるから体調の悪い今日は簡単に済ませようと思った。
 ではどちらだ。
 単純明快シンプル。これはメンテナンス系でいえば都合がいい。
 ということは元気なときほど簡単にしないで、複雑なことをやり始めるのかもしれない。避けて通れないこともやるし、手間暇かかる凝ったこともする。これがいけないのかもしれない。
 しかし、今日は簡単に済ませると決めたとき、すっと肩の荷が降りた感じになるので、これも悪くはない。実際には手を抜くということだが、よくいえば余計なことまでしないだけ。抜いているのではなく、加えないだけ。
 シンプルなものはいいのだが、シンプルすぎると、それはそれなりに問題だろう。だから身の丈に合ったシンプルさがあるはず。
 そんなことを思いながら歩いているとき、曇っていた空が暗くなり、雨が降り出した。傘の用意はない。天気予報をしっかり見ておれば折りたたみ傘を鞄に入れていただろう。
 まあ、濡れてもいいか。雨なのだから。
 福永は少し早足で、駅まで向かった。
 
   了


2019年5月12日

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