小説 川崎サイト



溜め池

川崎ゆきお



 岡山はその土地に長く住んでいる。
 子供の頃から見ると町は一変している。長くそんなことは意識しなかったのは、日々忙しく、近所を歩くこともなかったからだ。
 子供の頃の遊び場は、家の近辺だったが、大人になると、その周囲に出て行く機会も減る。もうそんなところへ遊びに行かないからだ。
 岡山は家の周囲を意識し始めたのは、退職後暇になってから。
 それで、暇つぶしで子供の頃に遊んでいた場所を散策するようになる。
 もう記憶も定かではなくなっているが、場所だけは確定できた。
 溜め池があり、よく魚釣りに出掛けた。今なら近所だが、当時は遠出だった。
 溜め池は農業用水として、かなり古い時代に掘られたようだが、もう周囲には農地がなく、ただの危ない場所になっていた。
 柵などはなく、水辺に降りて、そこで釣り糸を垂らしたり、いきなり網ですくったりした。
 溜め池は土手で囲まれており、坂を滑り降りる。降りられる場所は限られている。水辺に余地がなければ足場を確保できないからだ。
 その水辺の余地は何カ所かあるが、先客がいると使えない。
 岡山はあまり人が来ない余地を見つけた。ぎりぎり一人が座れる程度で、藻が多いため、人気のないスポットだ。
 この溜め池へ最後に来たのは中学生時代だ。魚が目的ではない。
 ある噂が教室で流れた。
 夜になるとアベックがその余地に入り込むらしい。
 噂を証明するかのように下着が余地に残っていたりした。誰かが投げ入れたのかもしれないが、そういう場所になっていたのだ。
 岡山が中学を卒業する頃、池は埋め立てられ、市営の児童センターが建った。その前を通ることはあっても、溜め池のことなど忘れていた。
 それから長い年月が流れ、暇になった岡山は、溜め池のことを思い出し、児童センターの周囲を探索した。
 岡山が好んで降りた水辺の余地も確認できた。門から少し入ったところだ。この敷地と池の形がほぼ同じなので、大体分かるのだ。
 子供の頃の記憶は意外と鮮明で、距離感も忘れていない。それは水辺から池をずっと見ていたため、池の位置関係が刻み込まれているのだろう。
 下着が落ちていた水辺には母子像のオブジェが立っている。少しは関係があるようだ。
 
   了
 
 
 



          2007年7月4日
 

 

 

小説 川崎サイト