小説 川崎サイト

 

神のいない神社


 その地方を長く支配していた源氏の傍流は、今は途絶えたが、全盛期に神社を建てている。これは既にあった神社を建て直したもので、再建だ。その謂われは分からないが、名前だけは伝わっている。勝尾神社が昔あったと。
 どんな神社だったのか、まったく分かっていなかったので、適当に建てた。その時代によくあるような。これは地元に対してのサービスのようなもの。しかし、その源氏の傍流は消えてしまい、勝尾神社だけが残った。地元の人も古すぎて分からなくなった神社なので、適当なものを祭っていた。ただ、作ってくれたのが源氏だったので、八幡さんを祭った。そういう信仰や馴染みは、この地方にはない。
 やがて戦いに効くということで、戦勝祈願の神社になり、大きな戦いで大手柄を立てた武将が出た。
 それで評判が立ち、いくさの神様として有名になる。それは寺の名が勝尾のため。
 神社には氏子がいるが、村々の神社は別にあり、勝尾神社は祈願者の寄付で持っていた。ただ管理は地元の人達がやっているが、氏子ではない。
 しかし、徐々に参る人も少なくなり、大口の寄付なども減った。地元とは関係のない神社なので、そのまま放置してもいいのだが、うんと昔にあったことは伝わっているので、無関係ではないはず。それで、寄付が欲しいので、神社の名前変えた。勝尾の尾がいけない。尻尾、どん尻。
 それで勝雄神社とした。これなら英雄で勇ましく、戦勝祈願に特化した名になる。
 これで、再び人気を得たのだが、一時的なことで、さらに戦いなどがなくなった江戸時代に入ると、もう神社はボロボロになる。
 しかし、勝尾神社は八幡さんとは関係がない。源氏の傍流の領主が再建してくれたので、八幡さんを祭っていたが、本当は何を祭っていたのかは分からない。
 時代も穏やかになった頃、この地方に昔あったという勝尾神社を調べた人がいる。
 焼けたらしく、年代は分からないが、今でいえば飛鳥時代まで遡る。こういうのはできるだけ古いほうが格が付くので、分かっていても建立は不明となっていたりするもの。
 難波や大和に都があったような時代に建ち、その後すぐに燃えたらしい。平安時代に、和歌で詠まれている。その時既に燃えたあと。
 廃社や廃寺は結構ある。その中の一つなので、珍しいものではない。
 ただ、どんな神様が祭られていたのかが分からない。
 それで、もう戦勝祈願などで来る人もなくなったので、本来の勝尾神社に戻し、とってつけたような八幡さんもやめた。
 そして地元の人が細々と管理していたのだが、箱はあるが何も祭っていない。空き屋だ。
 所謂神一般を祭っているようなもの。これが案外受けたのか、色に染まっていないためか、江戸の後期になると、遠くから物見湯山で寄る人が増えた。時代がさらに豊かになり、そんな遊び人が増えたのだろう。
 何も祭っていない神社。
 この国にお寺が建ちだした時代に燃えた神社。物部と蘇我が戦っていた時代だろうか。神対仏の。勝尾神社が今日のような神社の姿をしていたかどうかは分からない。神社というより、丘の上にある祭壇だろう。だから神社ではなく、宮。
 その地方は渡来人が多く棲み着いていた。そちら方面からの神様だろう。源氏もそれに関係があるのかもしれない。
 
   了




 


2019年5月25日

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