小説 川崎サイト

 

不図


 ふとしたきっかけでとか、ふと見てしまったとかの、このふとというのはなんだろう。と吉田はふと考えた。この場合、ふとではなく意図がある。図がある。図に意味を感じたからだ。しかし、ふとは不図と書き、ないということだ。意識的にではなく、ふと視界に入ったとか、急に思い立ったとか、思い付いたとか、作為的ではなく、計画的ではない。
 不図は、意識外ではないが、流れの外。いきなり入り込んだもの。途中ではなく別の文節の頭。
 ふと魔が差した。などは情念的なものがそこから来ていたのだろう。魔が差すのだから普段は考慮の外。魔なので、これは普段常用するものではない。だから本来意図的にはやらないこと。
 吉田はふとそれを考え出したのだが、急にそんなものを考えるはずがない。何らかのきっかけで、ふと飛び出してきたのだろう。連想が連想を呼ぶように。だが、ふとは突然が似合っている。そして偶然。
 しかし、道でふと右を見たというのは、さっき左を見たので、今度は右という程度の意図もある。右が目的なのだが、右側に見えているものが目に入ったからではない。首が怠いので、ふと左右に振ったとか、右へ捻ってみたとかもある。目的は肉体的だ。そのときふと見たものがあり、それに興味が走り、そちらへ向かった、などもある。
 きっかけが生理的とか、偶然とか、別の行為の最中で、狙っていたわけではないとか、そんな感じで、思わぬものとの遭遇などのきっかけになるのが、このふとだ。ふっとでもいい。
 ふとやふっとのふは息。息を抜いたような。休憩のような。ふっとかほっととか、その類だ。
 これは「ふ」か「ふっ」でないといけない。長くなると「フー」となり、もの凄く息を吐き出している。疲れたとき、フーといいそうな。こちらは肉体的なのが勝っている。
 ふとは瞬間、急に、そして考慮外の思ってもいなかったこと、予想だにしなかったこととの遭遇のとば口で、このふとが使われやすい。今までは因果関係に沿った動きだが、そこから少し離れて、伏線もなくいきなり来るようなものへの入口。
 ふと妙なことを考えてしまった。などは考えようとした考えたのではなく、それこそふと頭に閃いたのだ。これも実際には何処かに原因があるのかもしれない。寝ているとき、何らかの音がきっかけで、夢が始まるように。
 吉田はそのふとを意識した。すると、もうそのふとは不図ではなく意図になり、本来の不図とは違ってしまう。
 だが、このふと、日常の中でも、何かをしているときでも、あらゆるシーンの中で出てくる。
 それらは雑念のようなものかもしれない。外的なきっかけや内的なきっかけから出てくるのだろ。
 そのきっかけは意図されたものではないので、ふと出てきたもの。
 決まり事の外からのノックかもしれない。いつもの筋立て外。
 吉田はこのふとを利用できないものかと考えた。このときは既にふと考えたのではなく、大いに意図的に意識しすぎるほど考え、意図のしまくりだ。
 そして、最初のふっとの新鮮さが薄れてしまった。そこは何かの入口のようにも見えのだが。
 ふとそれに決めてしまった。などは勇気のある行為だ。何も考えていないのに等しい。考えが麩のように軽く、将棋の歩のように安っぽい。しかし、と金になる。
 それだけではなく、このふとは下手な考えよりも的を射ていたりする。つまり何となく当たっているのだ。狙い撃つより、何の気なしにふううと射た方が当たっていたりする。
 そういうことを考え中、吉田はふと思ってしまった。このふとは結構曲者で手強い相手だと。
 
   了
 


2019年6月5日

小説 川崎サイト