小説 川崎サイト

 

消えたコンビニ


 今日は何かな、と起きたとき田村は考えた。寝起き早々今日のスケジュールを思い出そうとしているのだ。これは毎朝ではなく、たまにある。何か予定があったのではないかと、考える。考えないと思い出せないのだから、ないのだろう。
 スケジュールが混んでいたりするときは段取りなどを考える。しかし、予定がないのでは考えようがない。
 つまり、最近これといったことがない。ただ前日やろうとしていたことはある。これは一晩寝ると忘れてしまったり、またもうその気がなくなっていたりする。だから、その方面のことを思い出しているのだろう。
 どうやら差し迫った用事とかはないようで、出掛ける用事もない。だから、スケジュールはカラ。そういう大草原、大海原が続いているので、うっかりすると、今日もそれではないかと思いがち。それで、何かなかったかな、となる。見落としを落とさないように浮かべるため。
 しかし、どうもないようだ。そしてむっくっと起き上がり、朝の支度をし、散歩に出た。こういうのは用事というわけではない。日課になっているので、それに乗るだけ。その他、日常の細々としたことは、全て日課なので、何の疑いもなく、あたりまえのようにこなしている。
 ただ日々の変化というのがあり、これは季節季節の移り変わりは田村の事情に関わりなく巡ってくる。さらに日々同じようなことを繰り返していても少しは違いが生じる。
 その朝も散歩に出たのだが、これを欠かすと朝食の予定が狂う。いつも散歩の戻り道にあるコンビニでサンドイッチと豆乳を買う。サンドイッチはハムと卵が入っているものを選ぶ。なければ、他のものでもいいが三角に限る。なければ四角いミックスタイプでもいい。それさえない日は希だが、そんなときは焼きそばパンとかウインナーの入っているホットドッグにする。そこまで売り切れてなくなっていることは年に一度あるかないかだろう。ほぼ三角のハムと卵の三角のサンドイッチはある。
 これは別の時間帯に行けばないかもしれないが。
 それで、散歩の帰り道、コンビニに寄る。だから散歩コースの最後の方にコンビニが来るようにしている。
 そして、その朝も、町内を一周し、コンビニに差し掛かったとき、ない。三角のサンドイッチどころかコンビニがない。
 ないわけがない。昨日はあった。潰れるにしても、一日で消えるだろうか。その前に予告があるはず。閉店しますとかの貼り紙ぐらいあるだろう。
 そして一日で壊したとしても、跡が残っているはず。しかし跡形もない。そこは草が生え茂っている。一日でそこまで草は生えないだろう。それ以前に、
「ここは何処だろう」という話になる。
 毎朝歩いている散歩コース。こんなところに草の生えた空き地があったのだろうか。空き地はコンビニの駐車スペースを入れたほどの広さ。
 しかし、記憶にない。
 その空き地の左右は住宅。普通の二階建ての建売住宅。それなりに新しい。よく見慣れているようでいて、よく見ると、それは違う。そんな一軒一軒の家までしっかりと覚えているわけではないが、こんな家が並んでいる通りだったのかとなると、それは違う。
「ああ、やられたな」と思い、田村は引き返した。農村時代からある貧素な地蔵が立っている場所で、道が二股に分かれているのだが、三股になっていたのだろうか。
 存在しない三つ目に入り込んだのだろう。
 と、田村は冷静に判断し、その辻で、いつもの通りに入り直し、少し歩くといつものコンビニが見えてきた。
 田村のこの謎解きは、実は嘘で、ただ単に道を間違えただけの話だろう。
 
   了
 


2019年6月21日

小説 川崎サイト