小説 川崎サイト

 

大海を知らず


 梅雨でジメジメし、身体も湿りがちで、気圧の低さのためか、ぐっと身体も重く、呼吸も息苦しい。まるで喉が細くなったような。
 こういうとき、ガクッと体調を崩し、思わぬ病を得るかもしれない。ただ、岸和田の場合、常に体調が悪いためか、それが日常になっている。今まで元気だったのにガクッと、いうわけではなく、今までも元気がないので、目立たない。
 しかし、この期間、岸和田は意外と好きなようだ。雨が好きというわけではないが、この湿気が潤滑油になるらしい。まるで雨にオイルが混ざっているわけではないが、動きがスムーズになる。これは特殊体質だろうか。亀などはのろいので有名だが、水を得るとものすごく素早い。浅瀬の底を泥煙を立てて走る姿をウサギに見せたいところ。当然泳ぎも早い。まるで潜水艦。
 岸和田は両生類ではないが、顔が亀と蛙の間に似ている。どちらも水中移動に対応しているのだろう。
 梅雨時で体調が悪いのだが、この悪さは岸和田にはいいようで、その理屈が分からない。悪いのにいい。
 体調が悪いとテンションが下がり、何もしたくなくなる。何をしても元気がない。覇気がない。これがいいのだ。つまり落ち着く。
 クールダウンしすぎているのだが、冷静な判断ができるようで、低回転を保っての動きは意外と活発で、シャープ。
 しかし、身体は重く、気も重い。重いなりにもスムーズ。ここが妙なところだ。かなり矛盾しており、物理法則にも精神法則にも反する。
 亀は掴み所があるが、蛙は何処を握ればいいのか迷うところ。亀の甲羅は触りやすいが、ぬるっとした蛙は何処を触っても気持ちが悪い。蛙は脇の箇所を握るのがいいようだ。
 だから岸和田も掴みどころがないようでも、実際にはある。ただ掴んでもそれほど気持ちのいいものではない。亀の方がましだが。
 ただ、それらは個人内での話で、その外に出るような展開はない。そしてこの個性も世間では通じない。特技であったとしても、それだけのことで、それによって何か大きな仕事をするわけではないし、人から喜ばれるわけでも、大きな人間にもならない。世の中の片隅でギリギリ生きている程度。
 井の中の蛙大海を知らず、とあるが別に知らなくてもいいだろう。
 
   了

 


 


2019年7月6日

小説 川崎サイト