小説 川崎サイト

 

喫茶店の客


 いつもの人達がいない。まるで違う喫茶店に入ったように大石は感じた。これは大袈裟だが、いつもの空気とは違うような気だけは確かにした。
 どうしてなのかは考えなくても分かる。少し遅い目に来たため、いつもいる客は既に帰ったあと。ただ一人だけ見知った顔が隅のテーブルにいた。普段はあまり見かけないが、たまに見かける。その程度の顔見知り。知人でも何でもない。テーブルの付属品のようなもの。セットものだ。
 遅れてきた理由ははっきりしている。朝、起きるのが遅かったので、そのまま昼までずれ込んだ。これはたまにある。しかし、いつも今日のように店内の様子を意識することはなかった。これは理解しているためだろう。遅れれば客は入れ替わると。
 では今日は何故意識したのか。それは暑いため。汗をかいていたのだ。炎天下を移動したので、一息つくまで、息を整えていた。そのとき、店内を見回した。
 この喫茶店での客は店内を見回さない。他の喫茶店でもそうだろうし、電車内でもそうだろう。子供ならぼんやりと車窓風景を見ているかもしれないが、視点は手元にあったりする。スマホを見たり、居眠ったりで、キョロキョロ周りを見回さない。一人客の場合はなおさらそうで、下を見て何かをしている。だが、人が動いたときなどは反射的に見たりするが。
 つまり大石は汗が引くまで長い目に店内を見回したので、意識的になったのだろう。店内ではなく客を見回した。知らない顔ばかり。
 いつも一人で来る老人がいる。スマホや端末ではなく、本を読んでいる。その大きさがよく分からない。文庫本でも新書版でもなく、単行本だろうが変形だろうか。たまにその横を通ることがあり、チラリと覗くと特大フォント。お経か、金言集だろうか。いつもその装丁の本を読んでいるようで、それ以外の本を見たことがない。愛読書のようで、座右の書ではなく携帯している。肌身離さず身に付けている本。ただ鞄はなく、レジ袋が鞄。まあ、鞄にもなる。
 特大フォントをちらっと見たとき漢字かな混じりなので、お経ではなく解説本のようだが、和文に直したものかもしれない。般若心経にしては分厚すぎるので、やはり解説本だろう。またはただの金言集か。
 常に人生や生き方を意識している人だろうか。または同じ言葉を何度も味わうことで、より理解を深めようとしているのか、または目はそこにあるのだが、別のことを考えているのか、そのあたりは分からない。
 読者家はあと二人いる。企業ものばかり読んでいる初老の人。もう人は単行本を読んでいるがブックカバー付きなので、タイトルは分からない。本はいつも分厚い。
 さらにかなりの年配者だが、大きい目のノートパソコンをいつも立てている。マウスやイヤホンも使っている。
 また、年取った息子と、さらに年取った母親がいつも来ている。介護しているのは母親のほうで、介護されているのは息子のほうだった。
 そういうキャラの中に大石が混ざっていたのだが、周囲のキャラが変わると、何故か落ち着かない。
 初めて見るキャラばかりなので、キャラがまだ立たないのだろう。
 汗が引いてきたので、視線を戻し、もう店内のことなど忘れて、いつものように瞑想に入った。
 背筋を伸ばし、顔を真正面に向け、目を半眼に閉じ。じっとしたまま動かない。
 自分が一番目立つキャラであることを、大石は知らない。
 
   了



2019年7月24日

小説 川崎サイト