小説 川崎サイト

 

運天


 大きな領地を有する大大名だが、中原から大軍が来る。新興勢力だが大きくなり、今では手の付けられないほどの兵を動員できる。それらがひたひたと押し寄せてくる。新旧の入れ替わりだろう。自領だけをひたすら守ることを家訓としていたこの大名も、もう打つ手を失っていた。
 朝、目が覚め、無事一日を終えればいいという程度の考えになっていた宝蔵という僧侶がいる。本職ではない。元は武家だ。大した名だが、これは人の付けた名で、宝の蔵。頭の中の蔵に宝が入っているのだろう。所謂知恵者。
 そこにもう一人の僧侶が現れる。こちらは高僧だが、高年ではない。
「何とかなりませんかな」
「何かな」
「聞き及んでおられるでしょ」
「さあ」
「領内まで押し寄せてきております」
 といってもその領地は広く、本拠地まで来るのはまだまだ先。一つ一つの城を潰しながらなら数年かかるだろう。また一つの城で一年も二年も抵抗されれば、さらにかかる。しかし、いずれ時間の問題で、降参する城主が多くなれば、将棋倒しとなり、一気に流れ込んでくるだろう。
「知恵をお借りしたい」
「そのために、あなたがいるのでしょ」
「私は僧侶」
「いや、政僧として名高い」
「軍師なら家中にもおられます。しかし、手の打ちようがないとか。あなたはどう思われますか」
「同じです」
「考えもしないで、簡単におっしゃらないで下さい」
「もう世事はいい。それで僧になったのじゃから。我が身と一日のことだけで一杯一杯」
「しかし、必要とされております」
「必要な知恵があればな」
「絞り出して頂きたい」
「同じじゃ」
「何が」
「だから、手の打ちようがない。このままでは亡びる。全ての領地を失う前に、いいところで和議に持ち込むしかないじゃろ」
「いや、わが領地一歩たりとも踏ませぬ」
「それは無理。多くのものが犠牲になりまするぞ」
「だから、聞いておるのです。何か打開策はないかと」
「人の世は分からぬ。それしか言えん」
 この高僧は外交僧でもあるので、早くから色々なところに顔を出し、他国の要人との交際も多い。
「がっかりです。作戦は天に任せるでは」
「もはやわしは世捨て人、自分のことしか考えておらん。もう言えることは運を天に任せる。それしかなかろう」
 本能寺の変があったのはそれからしばらく後。
 和議は成立し、いい条件で戦いは終わった。
 運がよかったのだろう。
 
   了
 


2019年7月25日

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