小説 川崎サイト

 

お盆の客


 アパートの戸を叩く音がする。またセールかと思いながら、増岡は態度を整えてドアを開けた。セールなら気構えるのをよして、興奮しないで、そっと引き取ってもらう態度になっていた。これは演技なので、少しだけ間が必要。しかしお盆休みにセールスに来る人がいるだろうか。同じアパートの住人かもしれないが、滅多に来ない。また、たまに来る人は戸など叩かないで、声を先に掛けてくる。しかも大声。
 それでドアの前に姿を現したのは、背が高く、ほっそりとしており、年は増岡と似ており、もう年寄りだ。
 長身の男は軽く微笑んだ。
 増岡はすぐにではないが、彼ではないかと、もう一度顔を見た。だが、名前が出てこない。もうしばらく合っていないし、思い出すことなど希な昔の同業者。まだ若い頃上京し、そのまま戻ってこないが増岡が上京したときはよく宿にしていた。
 逆にその上田が帰省したときは増岡の部屋が宿になる。上田はさらにそこから少し行ったところに実家があるので、途中で下りて、わざわざ泊まりに来る。これがお盆の頃毎年続いた。
 しかし、それはもう昔のことで、今はもう消息さえ分からないほど遠い存在。仕事で上京したままそこで家族を持ち、暮らしていると聞いたのが最後の便り。別の仕事に就いたので、もう同業者ではなくなったためか、お盆になっても来なくなった。
 しかし、いつもなら電話があるはず。それで駅まで迎えに行った。いきなり暑苦しい部屋に来てもらうよりも、駅前の喫茶店で歓談し、そのあと遊びに行くのがパターンになっていた。
「ああ、上田君か、元気だった」
「そうでもないけど、まあまあだね」
 確かに上田に間違いはない。話すとき、すこし鼻から口に掛けての皺が大きく伸び縮みし、目は何処を見ているのか、視線を合わさないで話す。
「暑いから喫茶店でも行くか」
「ああ、そうするか」
 増岡は暑いので適当な服装だったので、それなりの夏服に着替えるため、奥に入った。戸口からは見えない程度の奥だが。
 それで、鞄とカメラを持ち、靴を履こうとしたが、上田がいない。先に表に出ているのかと思い、アパートの入口へ行くが、そこにもいない。
 古い友達なので、家電話は何処かにメモっているが、ケータイ系は知らない。
 アパートの前の道を少し探すが、見付からない。
 奥で着替えていたのは一分ほどだ。さっきまで戸口にいたのだ。その証拠に戸は開いたまま。
 アパートに戻り、待つことにした。
 まずは暑いので、上着を脱いでいる、イビキが聞こえる。
 寝室がもう一室あり、そこを開けると、増岡のベッド。しかし、聞こえてくるのはイビキというより、大きい目の寝息だけで、姿がない。
 そして寝息が徐々に聞こえなくなった。
 増岡は猫が死んだとき、買っていた線香を探した。
 
   了


2019年8月17日

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