小説 川崎サイト

 

蝋燭あります


 和漢の書を読み漁るのが好きだが、学者になれる家柄ではない。それどころか藩がお取りつぶしになり、田村伊右衛門は浪人した。
 文武に優れ、かなりの使い手なのだが、それで食べていけるほどではないので、用心棒のようなことをして暮らしていた。この仕事もずっとあるわけではないので、裏長屋で過ごすことが多い。そして好きな書を読み漁っていた。貸本屋から借りたものなので、それぐらいの金はある。
 ある夜、足元に気配。軽く目を開け、下目で見ると、影。
 さらに凝視すると、それは頭の禿げた着流しの老人。眼光鋭く、彫りが深い。目はただの穴かと思うほど。
 それはすぐに消えたが、翌晩今度は枕元に出た。
 和漢の書を読み漁っているだけに、それが死神だとすぐに分かった。足元に出ている間はいいが、枕元に来れると、死期が近いことになる。
 田村伊右衛門には持病はない。おそらく用心棒稼業中に命を落とすのだろう。そういう運命。
 次の夜、目と鼻の先ほどまで死神は来ており、枕元に座っている。田村はとっさに死神の腕を掴み、ねじ伏せようとしたが、間接が取れない。それ以上回らないほど力が強い相手のようなので、反対側へ引っ張って、そのまま一本背負いのように投げ捨てようとしたが、死神は力を緩め、田村の背に体重を預けたため、投げられない。背中に死神がくっついたようなもの。
「未練がましい。諦めろ」
 この死神、普通に喋れるようだ。
「さあ、旅立つときが来た。お連れしよう」
 田村は書に記されていることを思いだした。これは運命で抵抗しても無駄だと。
 誰もが寝静まった深夜の道。田村は死神のあとをとぼとぼと付いていく。逃げても追いかけてくるだろう。
 しかし、この先に木戸があり、閉まっているし、木戸番がいる。夜中は通れないのだ。
 だが、死神は枝道へ回り込む。長屋が続く路地。その一軒に死神は入って行った。
 誰も住んでいないようだ。
 この近くに川があり、そこに船が来るまで、ここで待つということらしい。このあたり、運河が多いのだが、川船も眠っているはず。
「まだ間がある。冥土の土産に寿命について教えてやろうか」
「いえ」
「大人しく観念したようなので、その褒美じゃ。抵抗されると、手間取るのでな」
 死神は隣の部屋を開ける。そこだけは板戸。
 蝋燭屋にでも来たのかと思うほど。無数の蝋燭が並んでいる。明かりも点いている。この死神が担当するそのエリアの人達だろう。
「お前さんの蝋燭は、その一番短いやつで、もう上下より横の方が長い形になっておろう。これが寿命というやつ」
 田村は本で読んだ通りの光景なので、実は知っていた。
「これを見れば諦めが付くじゃろ」
 死神が前屈みになり、田村の蝋燭を手にしようとした瞬間、首が飛んだ。
 死神の首が床に転がった。
 田村は部屋の隅にある一番大きく長い真っ新の蝋燭に、自分の蝋燭の火を移した。
 その瞬間、田村は長屋の寝床にいた。しかし、田村自身、それを何処まで意識できただろう。
 田村伊右衛門は布団の中で泣いていた。生まれたばかりの赤ちゃんの姿で。
 
   了
 
 


2019年8月30日

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