小説 川崎サイト

 

孟秋のキリギリス


 秋になってもまだ気怠いままの田中だが、このまま怠いまま冬まで行くのもいいのではないかと思っている。これは気怠いときに考えると、そうなるのだろう。発想そのものが気怠い。
 だがここで元気に秋からスタートを切ることもできる。その気構えがあれば。
 しかし構えというのは面倒で、それなりに準備がいるし、気を引き立て、奮い起こすような何かがないと、やはり無理。だから空元気で終わり、余計に疲れ、余計に気怠さが増すばかり。
 孟秋という言葉が頭をよぎった。これは漢字でよぎった。これは二つ以上の漢字なので、熟語。
 イメージではなく、言葉が浮かんだ。だが、その言葉、映像として現れた。まるで何かのタイトルのように。
 それで、孟秋を調べると、秋の初めとなっている。何か猛烈な秋のイメージがあったが、違っていた。孟とは、始めということらしい。だから初秋のこと。
 孟宗竹というのがある。これがもの凄く太い竹で、孟にはそのイメージがある。では、始めのこととは関係がなくなる。孟宗とは人名のようだ。
 それとは関係なく、田中はこの孟秋が気に入った。本人にとって、これは猛暑からのイメージで、孟秋ではなく猛秋となる。猛烈な秋なのだ。これは元気でいいではないか。
 そしてこれは頭の中に浮かび上がったお告げのような言葉なので、これをきっかけに猛烈な秋を過ごしてみようかという気になった。
 人は何がきっかけで気が変わるのか分からない。意外と単純なことで決まったりする。本質ではなく、ただの語呂だけとか。
 これで気怠さから抜けられると思い、何かを始めようとした。色々と懸案はある。アイデアもある。やらないといけないこともあるし、今やろう、今やろうと思っていることもある。だからネタには困らない。その気にさえなればすぐに活発な人間になれる。
 暑いときはだれていたが、秋になると怠くなったのは、夏の疲れが溜まっていただけなのかもしれない。
 どちらにしても孟秋を旗印に、田中は立ち上がった。
 そして猛烈に攻め立てた。つまり、仕事を始めた。
 そこへキリギリス君がやって来た。毎年来る。
 キリギリス君は田中が猛烈に仕事をしているのを見て、気を落とした。残念がった。
 田中もキリギリスをやっているものとばかりと思い、同類相哀れむ会話を楽しみに来たのに、蟻のように働いているのを見て、落胆した。
 田中は痩せ細り青い顔と言うより、緑色に近い顔の痩せたキリギリス君を見て、ほっとした。
 見てはならないもの、来られては困るものが来たのだ。
 田中は我に返ってしまい、キリギリス君のペースに乗ってしまった。
 やはり自分はキリギリスなのだ。蟻は似合っていないことを再確認した。それで、やりかけていた仕事もやめ、キリギリス君と遊びに行くことにした。
 孟秋のキリギリス。それと遭遇すると、ろくなことにならない。気をつけるべきだろう。
 
   了


 


2019年9月1日

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