小説 川崎サイト

 

宿泊所


 田舎町といっても草深くなく、都会的。しかし昔の都会だろう。町屋などが並んでいたりする。武家屋敷のような大きな商家跡なども残っているが、観光地化されていない。
 吉沢はそこにあるライブハウスで演奏をし、打ち上げがあり、それも終わった。もう日は変わっている。
 どうせ帰れないので、ここで一泊するつもりだが、宿屋はとっていない。駅前に商人宿が進化したようなビジネスホテルがあるので、そこで泊まるしかない。しかし、それは最後の最後、その前にライブハウスのマスターが何とかしてくれるはず。
「泊まるところですね。案内します」
 吉沢の思っていた通り、その流れになる。交通費も宿泊代も出ないので、当然だろう。
 先ず考えられるのはあのライブハウスの二階にあるソファー。そこは楽屋だが、大きなソファーがどんと置かれていた。二つある。お揃いではない。だから、ゴミの日に拾ってきたのか、誰かが捨てに来たのだろう。流石にこの大きなソファーは簡単に回収してくれないだろう。
 だから、回収車は無視し、そのまま放置されるのだが、長くはない。誰かが持ち去る。
 次に考えれるのは、マスターの自宅だろうが、そこまで親しくないので、これは無理。
 ところが案内されたのは、ライブハウスではなく、裏通りにある普通の家だ。しかし、古い。商家ではない。
 一寸した金持ちの家だろうか。黒く塗られた塀、庭もあるが、雑草で覆われている。ただ、普通の家族が住む家とは少し違う。
 しいて言えば別宅。妾などを囲うような。
 中に入ると結構広い。襖や障子を全部開けているためだろう。
 マスターは押し入れを開け、蒲団を取り出した。
 その押し入れ、蒲団が何組も積まれている。
「劇団の人が来たとき、ここが合宿所になります」
「あ、そう」
「水道もガスも使えますが、茶瓶ぐらいしか置いてません」
「いいです。寝るだけなので」
 マスターはいつの間に買ったのか、ウーロン茶とおにぎりを鞄から出してきた。
「出るとき、そのままで結構です。鍵は内側からできますが、まあ、何処からでも入ってこられるので、してもしなくても変わりませんが、もし怪しい人でも入ってきたら大声を出してください。誰かが駆けつけると思います」
「あ、はい」
 今回吉沢は、このライブだけだが、何カ所か回ることがある。そのときは旅行のようなもの。今回は近いので、無理をすれば戻って来れたのだが、打ち上げの途中で、抜け出せなかった。
 吉沢は食べ過ぎて胸が悪いのでもうそのまま寝てしまうつもりで、蒲団に入った。シーツは新しいようだ。古いと口とくっつく箇所が気になるもの。タオルが必要だろう。
 マスターが一組だけ、シーツを交換してくれていたようだ。
 そして、眠りに落ちようとしたとき、急に思い出した。
「ここか」
 場所までは覚えていないが、仲間の誰かが話していた。
 ライブハウス近くの宿泊所。ここだ。
 要するに出る家なのだ。
 しかし、吉沢は何がどのようにして出るのかまでは覚えていなかった。
 これは幸いだろう。イメージしようがない。
 そのうち、ウトウトし始めたので、もうそんなことなど忘れた。
 夜中、吉沢の大声が聞こえた。
 またか、というような感じで、マスターが駆けつけた。
 
   了


2019年9月8日

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