小説 川崎サイト

 

ミルクセーキ


 秋晴れの連休、まだ夏のように暑いが、空気は爽やか。行楽日和だろう。そして連休の中日、いい感じだ。出るなら、このタイミング。
 吉岡はそうは考えたものの、足は重い。あまり歩いていないためだ。狭苦しい仕事場で少数の人達と、まるで閉じ込められたような場所にいる。そして同じ場所でじっと同じ動作を繰り返しているようなもの。AI化が進み、ロボットでできそうなこと。
 休みの日は何故か疲れており、出る気が起こらない。しかし仕事場でも籠もり、自宅でも籠もっているのでは身体がなまる。それに元来吉岡はそういう性格の人間ではない。野山を駆けまわる野生児ではないが、本当は外に出るのが好き。
 それで、一応里山歩き程度の軽装で出てみた。丁度いい感じの場所があり、これはテレビでやっていた。寺社が点在しているためか、それを目的に来る人も多い。地元の人しか歩いていない里山よりも、余所者は歩きやすいだろう。それに野生を残しているのか吉岡は妙な人相で、不審者に間違われやすい。
 電車やバスを乗り継いで、散策コースまで来たのだが、やはり足取りが重い。ここまで来るだけでも一杯一杯の感じで、さらにここから本番の歩きになるのかと思うと、これは楽しいことではない。
 しかし、野生が残っているのか、歩くうちに動物的なリズムが戻りだし、何とか歩み出すことができた。
 この歩みなのだ。足ではなく、吉岡の歩んできた道。バス停までの道ではなく、今の仕事に就いてからの道程。まあ、仕事歴のようなもの。
 狭苦しい場所で毎日顔をつきあわせている職場の人々。吉岡にとり、世界の全てといってもいい場所。要するに職場での人間関係の微妙で臭い芝居に辟易していた。同じ芝居を何度も再演するほど味が出たりするものだが、もう味わいたくない苦味に近い。そんなところに人間の成長などなく、単に姑息になるだけ。狭い世界へ狭い世界へと入り込んで行くだけ。
 足取りが重いのも、実はそのためだ。
 あの連中と定年まで顔をつきあわせるのかと思うとぞっとしてきた。世の中、もっと広く、色々な世界があるはず。選ばないと損だろう。
 遊歩道に茶店があり、掘っ立て小屋のためか、電気が来ていないらしく、氷を入れた大きな桶に飲み物を並べている。まるで水底から瓶が生えているように。
 コカコーラとかペプシコーラーとか、三ツ矢サイダーとかバヤリスオレンジなどは分かるが、聞いたことのないような毒々しいデザインの瓶がある。こういうのを飲むこともあるがほとんどが自販機だ。
 色目が肌色に近いミルクセーキが目に入ったので、それにする。これも瓶に入っている。まだ、こういうものを作っている会社があるのだろう。
 老婆はさっと取り出し、さっと栓を抜いてくれた。
 瓶の口と自分の唇が密着する。
 それを飲んだ瞬間、スーと、何かが入った。その何かとは当然ミルクセーキだが、得体のしれない舌触りと喉ごし。だがスーと入ってくる。非常に滑らかに。
 それが入ったと同時に、別のことも入った。
 これはずっと腹に持っていたことなので、最初から入っているものだが、それが動き出した。
 要するに、会社を辞める決心がついたのだろう。
 このまま勤めれば安定した暮らしができる。仕事も安定しており、自分の居場所もある。ただ、あの臭い芝居を毎日演じるのがいやになってきたのだ。
 何処へ行っても似たようなものとはいうものの、今の所は特殊。もう一生見たくない顔ばかり。
「お婆さん、このミルクセーキ美味しいねえ」
「そうだろ。これを飲む人は皆共通した何かがあるのさ」
「共通ねえ」
 吉岡は辞める決心がついたのか、そのあとの足取りは軽快そのもので、野生児に戻った。
 
   了
 


2019年9月18日

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