小説 川崎サイト

 

ある撤退


「雨で何ともならないですねえ」
「晴れていても何ともならないよ」
「そうですが、気分が違います」
「どうせここは何ともならないので、退却。だからもうあまり頑張らなくてもいいよ」
「そうですね。やっても甲斐がないですから」
「やりがいがないというやつだ。しかし、島田君は今日も営業かね」
「はい、外回りをしています」
「そんなこと、しなくても撤退するんだから、無駄な動きだよ」
「でも、日課なので、欠かせないと」
「何だろうねえ」
「習慣でしょ」
「そうだね。それよりも引き上げる準備、後始末をしないと」
「それは簡単です。夜逃げのように」
「夜逃げか」
「退却ですから、あまり知られないように、そっと」
「その意味で、島田君の動きはいいねえ。効果的だ。撤退するとは誰も思わないだろ」
「そういう意味で続けているんじゃないと思いますが」
「結果的には偽装だよ。陽動作戦」
「そうですねえ。島田さんも知っているはずですから、もう消えると」
「やはり、習慣かね」
「そうです。ここでぐだぐだ言ってるより、外で仕事をしている方がいいんでしょ」
「しかし、君ともお別れだね。次は何処へ飛ばされるか分からんから」
「これまでお世話になりました」
「いやいや、僕は上司じゃないよ。上司は島田君だよ」
「そうでした」
「あの人がここの所長だ。僕はただの顧問」
「はい、色々と勉強させて頂きました」
「しかし、撤退とはねえ」
「顧問は何をしていたんでしょうねえ」
「え」
「いや、顧問は」
「僕を責めているのかね」
「まあ」
「それはひどいじゃないか。言い過ぎだろ」
「でも、あなた、何もしていなかったでしょ。島田さんは必死で働いていましたよ。撤退になったのは顧問のあなたが顧問の役をやらなかったからじゃありませんか」
「どうしたんだ。急にそんなことを言い出すなんて」
「私は撤退後、もう辞めます。だから、このあとはないのです」
「私はねえ、ただの顧問じゃない。名前だけで、何もしなくてもいいんだよ。しかし、こうしてこんなところまで付いてきて、真面目に出勤しているんだよ。本当はしなくてもいいんだ。ただの肩書きなんだよ。幽霊顧問でもいいんだよ。それが、こうして来ているんだ。珍しいよ。これは」
「そうだったのですか」
「そうだよ。失礼な」
「でも、来ているだけで、何もしていない」
「来ているだけでいいじゃないか」
「目障りなだけ」
「よく言うねえ」
「島田さんが可哀想だった」
「失礼な、帰ったら、ただではすまんぞ」
「辞めるから平気です。それに撤退のお手伝いはしません。もう辞表は出しています。今日までです。あとはよろしく」
「そうだったのか」
「ちなみに島田さんも同じです。今日いっぱいで退社です。ですから、あなたが撤退の一切合切お一人でやってくださいね」
「そうはいかん」
「顧問でしょ」
「僕も辞めるだ」
 
   了



2019年10月27日

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