小説 川崎サイト

 

埒外


 埒外の将来。一寸先は闇なので、そんなに遠い将来ではなく、あと三秒後に起こるかもしれない。予定外、予想外、思っても見なかったこと、等々だ。
 起こるべくして起こったという人もいるが、何ともなかった人もいる。そうなると運だ。運は招き寄せるものとか、また運などなく、全て必然的に起きていると見る人もいる。いったい何処まで見渡せるのだろうか。森羅万象全てになると、見渡している間に人生が終わってしまったりする。
 埒外は、将来考えていなかった、思っていなかった、またそんなことがあるのかというような世界。思いのほかと言ってもいいが、思っていないことが結構起こっている。
 また埒外の範囲を何処まで認めるかによっても、所謂想定外と想定内に分かれるようだが、これを使うときは負け惜しみとか、分かっていたとか、あとで範囲を広げたのだろう。
 しかし、悪いことばかりではない。大儲けしたときは人には言わなかったりするものだ。自慢したい面もあるが、文句は言わないだろう。いいことなので。
 また完全なるラッキーで、運良く大儲けした人も、それは想定内で、予測できており、その段取りもしていたからだと答えたりする。本当は考えも付かない偶然だったとしても。
 埒外な出来事は細々としたことでは結構起こっている。それほど影響がないようなことなら、気にしなくてもいいし、意外だと考えるほどの埒外な出来事でも、すぐに取り込んで埒内に収まるかもしれない。人の思考方法が違うのは、そういった記憶から来ているのかもしれない。一度ひどい目に遭った場所には行かないとか。いつもいい感じのままの関係だと、それを好意的に解釈する。しかし、いつまでもそれが続くわけではない。
 埒外だと思っていても、その後、埒内に入る事象もある。以前思っていた埒外の基準とそれから何年何十年と立ってからの本人の発想が少し変化しているためだ。ただ、変わらぬ性癖というのもあり、経験を重ねても不動の地位のままというのもある。また、コロコロと日替わり定食のように変わる趣向もある。ここは変えてもそれほど影響はないためだ。思想を毎日変えるわけではないので。
 埒外、それは日々起こっているのかもしれない。見えないだけで深く静かに進んでいたりする。
 また、埒外だと思っても、その人の見当違いかもしれない。本当は埒内なのに、敢えて埒外だという。何かを強調したいためだろうか。
 埒外でも埒内でも起こってしまえば仕方がない。それで戻れなくなれば、別の道を行くしかない。ただ、大きく修正しないといけない場合、これは大変だが、後退もまた前進だ。後ろ向きでも、後ろ側が前になるような歩き方もある。決して前を見たまま足だけ後ろ歩きしているわけではない。それに、それでは後ろがよく見えないので、歩きにくいだろう。
 
   了



2019年11月1日

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