小説 川崎サイト

 

仏師


 仏師の達人という人がいる。仏像を作る人だが、彼の場合、大きなものではない。一人でできる小仏で、丸太が仏になるというもの。その名人なのだが、キャリアがあれば誰もが名人というわけではない。達人の域というのがあり、ここは一般の仏師とは明らかに段差があり、誰が見ても、それは分かる。
 長江という人だが、それほどの年寄りではない。中年あたりからその域に達している。これは個人が買うことが多いのだが、寺からも頼まれることもある。民芸品の熊を彫ったものとそれほど変わらないが、熊ではなく、仏を彫るわけなので、意味が違う。
 ある日、インタビューを受けた。達人の特集らしい。その中の一人として、この仏師が選ばれた。
 取材者が驚いたのは、長江氏は気さくな人で、聞けば気楽に答えてくれた。冗談さえ交えて。
 取材者は他の達人にも会っているのだが、結構いかめしい人が多い。頑固そうだったり、人当たりが悪く、取材そのものにも応じてくれない。
 ところが、この長江氏はそうではない。普通にいる中年の人懐っこいオッサンなのだ。
「下絵とかはあるのですか」
「ああ、はい、もらうこともあります。こんなのを彫ってくれと」
「丸太にそれを写すわけですか」
「いやいや、丸太に下書きはできませんよ。まあ、大凡のアタリは分かりますからな。彫りながら出て来よります」
「形がですか」
「そうです」
「分かりました。立体ですからねえ。二次元の絵と三次元では違いますからね」
「そうでんがな」
「丸太の中に仏が入っているので、それを掘り起こすとか聞きましたが」
「私は、そんなこと言ってまへんが」
「いえ、別の仏師が」
「そうでっか」
「どういうところが肝ですか」
「ポイントでんなあ」
「そうです。コツとかツボのようなもの」
「そうでんなあ、それは手が勝手に彫り探りまんねやわ」
「自動筆記のように」
「そりゃ、お筆先ですなあ。そういうことやおまへん」
「では、彫っているところを拝見してよろしいですか」
「ああ、どうぞ」
 仏師長江氏はいくつかの彫りかけの中から一体を掴んで、それを彫りだした。非常に細いノミで、一本しか使わない。だから一刀彫りの達人。
「喋りながら彫ると、怪我しまんねん」
「あ、はい」
「これは薬局で頼まれたやつでしてな。摩耶さんの像です。まあ、マリアさんのようなものですわ」
「お釈迦様の母親ですね」
「そうでんねん。これ漢方薬置く場所に飾るらしい」
「そうなんですか」
 喋りながら彫っているのだが、その彫り方が分かりにくい。顔を彫っていたかと思うと、腹を一寸彫り、また顔に戻り、落ち着きがない。
「昼食べはりましたか」
「いえ、まだです」
「蕎麦、取りましょか。もう寒いけど、ええ蕎麦屋がありましてな。そこのざる蕎麦、何回食べても美味しい」
「いえ、結構です」
「そうでっか」
「わて、最近お粥さんが気に入ってましてな」
「腹を壊したときなど、食べる、粥ですか」
「粥いうても、いろんな具入れまっせ」
「じゃ、雑炊」
 鼻を整えていたかと思うと、今度は背中の肩胛骨あたりを彫っている。そこは衣なのだが、その位置だ。
「あのう、どうして、掘る場所を頻繁に変えるのですか」
「ああ、痒がってますから」
「粥が欲しいと」
「いや、痒い痒いいうてますから、そこ掻いてるようなものですがな」
「ああ、痒い」
「そうそう」
「話ながらだと、気が散るでしょ」
「そうでんなあ、手元危ななりますわ」
「じゃ、見学はこれぐらいにします」
「そうでっか」
 後ろにカメラマンがいる。無口な人で、話に加わってこない。
「最後に、彫っているところの写真を下さい」
「ああ、どうぞ」
 カメラマンがレンズを向けると、長江氏はにかっと笑った。
 取材者は名人らしさがないので、困った。
「怖い顔して頂けませんか」
「そうでっか」
 長江氏は閻魔のような顔で、ぎょろりとレンズを睨んだ。
「あのう、やり過ぎです」
「そうでっか」
 結局カメラマンが難しそうな顔になっているときに写したのが使われた。
 そして、その記事では、ツボ彫り名人の技と紹介された。きっと長江仏師にしか見えない彫り順のツボがあると思ったのだ。
 
   了

 


2019年12月10日

小説 川崎サイト