小説 川崎サイト

 

恩師は飛ぶ


 わが師である山田先生は年末だが走っていない。年寄りなので走ることは希だろう。それに走ることなどないのではないかと思われる。信号がもうすぐ変わるとき、今なら走れば間に合う。だが急ぎ足では間に合わない。普通に歩いていてならさらに遅い。もう手前で赤になっているだろう。
 滝村は山田先生のことが気になったので、忙しい年末の中、時間を作って、行ってみた。
 家の前に来ると、走っている山田先生を思い浮かべようとしたが、絵が出てこない。走っている山田先生など見たことがないためだ。
 恩師、それはもう今は縁が切れた先生に当てはまりやすい。現役の師では、それが恩となるか仇となるかの判断は、まだ。
 この先生さえいなければ、気がくじけて先へ進めなくならなかったのにとか、後々まで悪いくさびを突き刺したまま縁が切れた先生もいる。
 恩師とは、あとでいい先生だったと思えるタイプだろう。そういう先生は最初からいい感じだ。
 恩師山田先生の宅を訪ねるのは久しぶりだが、先生の手から離れても、その後もお世話になっている。この先生から習ったのは古典だ。国語は嫌いだったが古典は好きになった。この先生のためだろうか。
 山田先生は一人暮らしだが、達者なようで、通された応接間は今では書斎のようになっており、あまり客が来ないのが、これで丸わかりだ。以前はそんなことはなかった。
「玄米パンは食べていますかな」
「いえ、最近は忘れていました」
「くこ茶は」
「それも忘れていました」
「どちらも霊感にはいいのですよ。続けましょうね」
「はい」
「ところで、霊界は見えましたか」
「まだです」
「まあ、長くかかりますがね。霊界が見えるようになるには」
「素質がないようです」
「それもありますなあ」
「先生は、相変わらず見えているのですね」
「そうですねえ。最近はあえて見ようとはしませんがね」
「そうなんですか」
「さて、今日は、何でした」
「年の末なので、挨拶に」
「ああ、それはそれは。私は元気ですから、ご心配なく」
「これはお歳暮代わりにと思いまして、四次元世界の神秘を持ってきました」
「ああ、そうですか」
「古本屋で見付けたので」
「それは私も未読だ。いいものを有り難う」
「じゃ、これで」
「もう帰りますか」
「年末で、慌ただしくて」
「そうですか」
 滝村にとって、この先生は古典の先生ではなく、霊の先生だった。霊に関して、色々と話してくれた。それが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
 この先生、師走でも走らないが、空は飛べるようで、北極の真ん中まで行き、穴が空いているのを見たとか。
 とんでもない師だ。
 
   了
 
 


2019年12月24日

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