小説 川崎サイト



豊かな世界

川崎ゆきお



 謎が謎でなくなったとき、奥行きの一つを失うことになる。
「何だ、そういうことだったのか」と、すっきりするかもしれないが、それで豊かになるのではなく、豊かさも失うことになる。
 心の豊かさとは、何かよく分からない領域が残っていることだ。
 政岡は大人になるほど世界は広いと思っていたのだが、案外狭かった。
 それは政岡の了見の狭さも手伝ってのことだが、無限のように感じていたものが有限であり、行き止まりがあることを知ったことの方がやはり大きい。
 政岡は今日もテレビで世界の秘境を眺めていた。秘境が部屋の中で見られるのだ。
 地球の何処かで、まだ人間になりかかっている猿がいると思っていた時代のほうが、世界は豊かに見えた。
「それは逆でしょう」
 同僚の岡村が突っ込む。
「世界の姿を正確に把握できるほうが豊かなんじゃない? 分からなかったことが分かるほうが豊かでしょ」
「それは知識が豊かになるってことだよ」
 政岡が言い返す。
「無知より有知のほうが豊かでしょ」
「ユウチて何だよ」
「無いと有るの違いだよ」
「無いほうが豊かだ」
「有るほうが豊かさ。物も沢山有るほうが豊かじゃないか。少ないのを豊かだとは言わないよ」
「だから、心の豊かさについてだよ」
「じゃあ、少ないほうが心が豊かなのか?」
「知らないほうが想像する楽しみがあるじゃないか」
「まあ、楽しみ方は人それぞれだからね。お好きにどうぞ」
「君はそういうことはないか?」
「いろいろなことを知ることで、心もどんどん豊かになるよ」
「僕は、どんどん狭くなると思う」
「まあ、無知は無邪気でいいかも」
「それだよ、無邪気さを失ったんだ」
「おまえは詩人か?」
「謎がなくなると淋しいじゃないか」
「解明できたほうが楽しいぜ」
「いや、僕は謎めいた世界が残っているほうが楽しい」
「だから、お好きにどうぞだ」
「君は僕のことが分かっていない」
「分かってるよ。言いたいことも分かってる」
「僕は君が分からない。だから楽しいんだ」
「俺は、君のことがよく分かっている。だから楽しい」
「どんなふうに?」
「次に何を言うのかが分かるからさ」
 政岡は沈黙した。
 
   了
 
 
 



          2007年7月27日
 

 

 

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