小説 川崎サイト

 

元日の目覚め


 朝、目を覚ますと正月だった。
 と言う人もいるだろう。だが、普通に朝、目覚め、それが正月だったと思う人のスケジュールはどうなっているのか。正月になるまで、正月が分からなかったのだろうか。しかし、目が覚めた瞬間、どうして正月だと分かったのか、知ったのか。
 日曜も祭日も関係なく過ごす人なら、スケジュールがどうのというところから、正月を意識する必要はないが、そういう人ほど正月などチェックしていないのではないか。だから普通の人よりも気付きにくいはず。
 つまり、目が覚めたとき、すぐに正月元旦の朝だと考えなくても分かるほどだとは思えない。
 単純に考えれば、寝ているときは意識が落ちる。目が覚めると、すぐに繋がりが分かるのだが、深い夢でも見ていて、別の世界に飛んでいる場合、起きると急に正月が来たように思うかもしれない。
 朝、目を覚ますと正月だったは、それまで何日も意識でも失っていたのか、気付いたときが偶然正月だったとも考えられる。これもすぐには分からないが。
 また、昼寝やうたた寝をよくする人なら、目が覚めたとき、朝なのか昼なのか分からなかったりする。そのため、大晦日の昼に、昼寝して、起きたとき、朝だと勘違いし、正月が来たと思うかもしれない。
 いずれも目覚めて少しすれば、すぐに把握できるだろう。目覚めたときはまだぼんやりしていることもあるし、頭もまだ営業中ではなかった場合もそうだ。
 また、朝、目を覚ますと正月だったを、もっと単純に言えば、今日は正月になっていたと言うだけのことかもしれない。早く来たのか、遅く来たのか、また、ついに年が明けて、一年が始まるのかという程度。そしていつもの目覚めではなく、新年の目覚め。これは強調してもいい。
 ただ、深夜の年越しなどで出掛けている人は、帰りも遅くなり、そのあと用事などしていると、寝るのが遅くなり、起きると昼だったとかもある。
 新年は既に除夜の鐘のときに迎えている。だから朝また迎えなくてもいいのだろう。
 元旦での目覚め。それを一日の始まりと見るか、一年の始まりと見るかで、重さ、スケールが違う。
 他の生物はどう思っているだろうか。何も思っていなかったりしそうだが。
 
   了
  

  


2020年1月2日

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