小説 川崎サイト

 

さてどうするか


「さてどうするか」
 これは島田の口癖。いつも何を成すべきかを考えている。ただ、いつも成せるわけではない。結果が出ないと成したことにはならないので、それではなく、次の段取り程度だろうか。段取りとは成すための手段。順番。何からやっていけばいいのかの問題。これは結果を出すための過程。
 それなら上等なのだが、島田の場合、特に成すようなことはない。次はどんなことをすればいいのか程度。ここが実は大事で、人生の全てが本当はかかっているのかもしれない。その一歩、その一手の違いが大きくその後に影響をもたらす。刻一刻が分岐点。その選択で決まるべきものが決まったりする。ただ、それは島田の背負っているものの範囲内での話。
 だが、今では「さてどうするか」が口癖になっており、日々何度も連発したりする。特に困ったことがあるわけではなく、どちらかといえば、選択に迷いがあるのだろう。ただ、選択とは複数の候補があるものだが、それさえない場合がある。
 だから、「さてどうするか」と常に自分自身に問いかけているわけではない。また模索はするが、考えているだけ。思っているだけの、妄想に近い。
「さてどうするか」は一段落済んだときに出やすい。または休憩を終えたあととかも。要するに段落。改行し、次の文を起こしていく手前。
 しかし、口癖になってしまうと、あまり効用はない。日常化し、ただの口癖、呟き、気合いとか、合いの手に近くなる。
「さてどうするか」には、何かしていることが必要で、それに関して、鑑みるときに使う。
 昼時になった。さてどうするかとなるレベルで、これは何かを食べる必要があるというはっきりしたもので、考える必要はない。答えは分かっている。昼飯を食べればいいのだ。しかしそこに「さてどうするか」が入るのは、何を食べるかが懸案になる。昨日はうどんだったので、今日は蕎麦にするか、程度。
 しかし、この「さてどうするか」の間を置くことで、矢印ができる。方向が決まる。
 昼飯程度のことならいいのだが、もっと深く、複雑な事柄にも当然当てはまるが、これは「どうするか」と思うだけで、一向に答えが出ない場合がある。ただ、このままでは何ともならないとか、もっと違うやり方があるのではないかと、多少は重いことを思う。
「さてどうするか」と、島田はいつも偉そうに呟くのだが、「なるようにしかならん」と対になったり、「とりあえずすすめてみよう」だったりする。しかし、たまに凄いことを思い付くことがあり、これがあるので「さてどうするか」と問いかけるのだろう。
 熟考よりも、ふとした思い付きで事を進めることがある。予測も準備もしていない。だから新鮮に見えるのだろう。
 そういう過去の色々なパターンを思い出しながら、それも含めて「さてどうするか」となる。
 これで、島田が上手く事を進めているわけではない。その問いかけが大事、立ち止まって思案することが大事、ということでの成果はほとんどない。
 だから「さてどうするか」と思うことが好きなのだ。
「さてどうするか」で一拍入る。この間合いがいいのだろう。
 
   了


2020年1月25日

小説 川崎サイト