小説 川崎サイト



布巾を飛ばす

川崎ゆきお



 改札を抜けると電車が走りだしていた。急いでも間に合わないため、諦めがつく。しかし、その電車に乗り損ねたため、約束の時間が気になる。
 森田はベンチに腰を下ろした。こちら側のホームには誰もいない。各駅停車しか走っていない支線だ。
 約束相手は取引先の人間だった。ひと電車遅れることで、数分待たせることになる。その数分は寛容範囲内だろう。少し遅れる程度だ。
 もし重要な相手なら、もう少し早く家を出たはずだ。
 支線は本線と合流し、そこで都心行きへ乗り換える。本線ですぐに電車が来ていればいいが、そうでなければ待つことになる。
 待っている間に支線の電車が到着することがある。
 森田はその展開を期待した。
 今、乗り損ねた電車でも、次に来る電車でも、本線では同じ電車に乗ることになる。これなら乗り損ねたことにはならない。
 森田はそんなことを思いながら、向こう側のホームを見ていた。
 屋根がないため空が広く見える。
「こんな町だったのか」
 三階建てのビルが駅前では一番高い。老舗の饅頭屋の本社兼工場だ。屋上におびただしい枚数の布が乾されている。布巾だろうか。蒸す時に使ったものかもしれない。
 ぼんやり眺めていると、目の前を人が横切った。乗る人が溜まりつつあるのだろう。主婦らしい女性が多い。
 孤独ではないものの、見知らぬ一人一人が電車を待っている。
 こういう場所で話しかけられることはない。顔見知りがいても挨拶する程度だろう。
 その意味で一人の時間ができる。僅かな時間だが、ぽっかり空いた繋がりのない世界だ。
 森田は得意先のことも頭にはない。数十メートル先の饅頭屋ビル屋上で揺れる布巾を見ている。
 その揺れ方にリズムがある。それが面白いとかではなく、動くものに目がいくのだ。
 軽く念じれば、すーとホームまで飛んで来そうだが、そんな力が森田にあるわけがない。
 だが、そんなことができれば楽しいだろう。
 向かいのホームにも人が集まり出した。間隔を置き、座っている。
 踏み切りの音が遠くでする。そろそろ電車が来る頃だ。
 ベンチからは電車は見えないが、既に立ち上がり、指定位置で待っている人もいる。
 電車がホームに姿を現した時、森田は凄まじい念を布巾の一枚に当てた。
 電車の先頭が風景を隠した。
 布巾が飛んで来たかどうかを確認できないまま車両に入った。
 森田は布巾のことなどなかったかのように空いてるシートに座った。
 
   了
 
 


          2007年8月1日
 

 

 

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