小説 川崎サイト

 

腐れ縁


 世の中には余計なものが多いが、その余計を取り除くとさっぱりしそうだが、そうでもないことがある。なくなると淋しいというより、余計でないもの、つまり必要なものだけになると、息苦しくなる。まるで実験室にいるようなもの。効率はいいし、いい環境なのだが、何か足りない。
 無駄の有効性云々とか、余白の大事さ、などとはまた違う、殺伐としたものを感じる。
 本当に無駄なものは確かにある。何とかそれを取り除きたいと思いながら過ごすこともあるが、これは除外したいためだろう。当然、それは取り除いて当然なのだが、そのあと、何故か淋しい。物足りない。
 それは宿敵が消えたような感じに似ている。敵がいるときは、鬱陶しいが、消えてしまうと、物足りなくなる。
「それで私を生かしておるのですか」
「君を排除するのはもう簡単になった。いつでも追い出せる」
「じゃ、もう脅威じゃなくなったのですな」
「そうだ」
「しかし、災いの種ですぞ」
「それは分かっておる」
「じゃ、なぜ」
「親しくなったためかな」
「親しくないから、敵同士」
「敵として親しくなった」
「はあ」
「いなくなれば困る」
「そこまで甘く見られたのなら、出ていくしかありませんなあ」
「行くか」
「脅威にならないのなら、いても意味がありません。飼い慣らされた敵では」
「あなたがいたから、私は多くを学んだ」
「そんな教訓を聞いても仕方がありません」
「馴れ合いだ」
「はあ」
「いなくなると物足りない」
「知りませんぞ」
「何が」
「それがあなたの命取りになる」
「いいじゃないか。それが必要なんだ」
「性格が変わりましたな」
「変わらぬが、あなたは私の一部なんだ」
「もう、それ以上聞きますまい。そこまで言われれば、もうここにいても情けないだけ。立ち去りましょう」
「行くか」
「一番きつい追い出し方でしたな」
「できれば残って欲しい」
「それじゃ、私が辛い」
「分かった」
「長年の望みだったはず。私を追い出すのは」
「そうだが」
「だったら、その通りに、おやんなさい」
「分かった」
 腐れ縁というのがある。この二人、こういうことを言い合いながら、その後も長く続いた。
 
   了

 


2020年2月23日

小説 川崎サイト