小説 川崎サイト

 

目的


 目的、目標があり、それを目指しているのだが、実はそれを果たしたあとの目標、ターゲットがある。これは目的を果たすとやることがなくなるため、次の目的が必要なため。しかし、それは奥に隠れていて、まだ見えないこともあるが、何となく分かる。これを終えれば、あちらへと。
 吉村の場合、その先を二つか三つほど把握している。予約だ。流石に四つ目になると、見えないが。
 すると、目的としていたのは実は過程だったりする。そう考えた方が分かりやすい。
 目的など場合によっては永遠に果たせないこともある。だから一つでいい。それが途中で変わることがあっても、その方向では一つだ。
 吉村の場合、寄り道をする。目的にまっしぐらではなく、余所見をし、そちらから入っていく。だからこれは本当の目的ではない。目的に向かわないのだが、向かっていることになるが、ここが分かりにくい。
 それに寄り道の場合、本当の目的ではない。だから、それを果たしても、過程になる。
 そして、本命ともいえるものを避け続けたりしている。これは本命の目的を果たすと、そこでもう終わってしまうためだ。だからじらしているようなもの。またはプレッシャーが強すぎて近付けないとかもある。
 目的を果たすと終わる。これは淋しい。
 そのはぐらかしでの寄り道は過程なのだが、この過程の中にいいものがある。本命にいきなり向かわないのはそのためだが、これは結果論。
 本当は目的を果たしてしまうとやることがなくなる。これが怖い。別の目的をまた作ればいいのだが、いいものはあっても手に負えないほど遠かったりする。まあ、その方が時間がかかるので、当分は同じ目的に向かえるので、目的探しをしなくてもいい。だが、カタルシスがない。達成感だろう。
 寄り道がいいのは、細かく達成感が味わえるため。これは小さいながらも結果が出る。それを食べることができる。一瞬だが、喜びはある。
 しかし、吉村は知っている。快感など一瞬のもので、長くそれを維持することなどできないことを。晴れがましく思えることなど、そうそうない。
 しかし、小さな目的なら、ゴロゴロ転がっている。これなら達成感の快感もゴロゴロある。だが、小さいが。
 要するに小出しに気持ちよさを味わう。これがいいのではないかと思い、大きな目的よりも、小さな目的。または別の目的を複数持ったりするようになる。寄り道がそうだ。大きな目的のための過程ではなく、独立していたりする。
 目的にも色々ある。本人が勝手に決めてもいい。その規模も自由だ。
 簡単に手に入る目的でも。そこに気持ちの乗りとか、自分に対しての筋書きができていないと、なかなか手を出さないものだ。たとえ簡単に手に入ることが分かっていることでも。気持ちの整理が簡単ではない。
 目的、それは独り相撲で、一人芝居を演じているようなものかもしれない。それらの経歴が、その人になるのだが。
 
   了



2020年2月26日

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