小説 川崎サイト

 

二階の八畳の夢


 八畳ほどあるだろうか。その横の部屋も襖を取り外しているのでより広く見える。夏はそんなものだと思いながら柴田は部屋の真ん中に敷かれた布団から起き上がった。まだ宵の口、開けはなたれた窓から簾越しに明かりが見える。下で子供が花火でもしているのだろう。
 ああ、盆休みで里帰りしていたのだと、改めて思う。
 そこで、目が覚めた。夢の中身は目を覚ましたところだけ。だからこの夢が目覚ましになっていたのだろう。しかし、郷里の実家で寝ていたのは分かるが、寝る前に、何かあったような気がする。実際の話ではなく、夢の話。きっと夢の中でうたた寝をして、そのまま寝てしまったので、忘れたのだろうか。しかし、夢の中で見た、その前のシーンなので、そんなものを思い出してもなんともならない。
 だが実家の二階で目を覚ます前のシーンがあるはずだ。それもまた夢なのだが、それがないと、夢が短すぎる。数秒だろう。
 しかし実家に帰ったときの夢なので、何か懐かしいような気持ちだけは残った。
 そして、夢の中ではなく、本当に目を覚ましたのだが、いい感じで起きてきた。目覚ましはかけていたが、それよりも早い。
 そして、急に襲ってきたものがある。それは今日という日だ。
 入社式。
 半年前からそれは分かっていた。卒業すれば、ここで働くと。来るべきものが来た感じで、兵隊に行くようなもの。ただ赤紙が来たわけではないので、強制ではない。自分で選んだのだから。
 早い目に目が覚めたのは夢のおかげかもしれない。起きる夢なのだから。しかし、それで起きたと思い、安心して寝ているかもしれない。起きてしまったので、夢の続きは分からない。おそらくそのシーンだけの夢だろう。前後はない。だが、起きた場所が郷里だ。しかも二階の八畳は滅多に上がらなかったが、勝手に入り込んで、一人でチャンバラごっこをしていた。広いので、道場。しかし、ドタンバタンと駆け回ると響くので、すぐに分かってしまった。忍者ごっこにすべきだろう。
 あの頃、というのが頭をかすめた。それは一番よかった時代ではないか。
 柴田は支度をし、ビジネススーツを着て、外に出た。
 しかし、夢が引っ張っている。あの頃が引っ張っている。無邪気だった頃の、あの日々が。
 柴田はその引力を振り払い、駅へ向かった。入社式まで十分時間の余裕がある。
 私鉄から地下鉄に乗り換えると、働く人々の群れに吸収されていく。その中の新人に。
 そして会社のある駅で降り、改札を抜ける。階段を上がり、地上に出て、大きな横断歩道を渡り、横道に入り、二つ目の信号を左に入る。既に巨大な墓石のような本社ビルは見えている。
 ここを毎日これから往復するのだ。
 そして徐々に近づいてくる。
 柴田はこれが夢であればいいのにと、何度も思った。これは悪夢だ。すぐに覚めるはずと。
 そして階段を少し上がったところに表玄関がある。入社式会場と書かれた立て札もある。会議室でやることは分かっている。
 そして玄関ロビー手前を見ると、鬼がいる。警備員だろうか。二匹立っている。
 ここはやはり地獄なのかもしれない。赤鬼と青鬼に見えた。
 さらに階段を上がると、とんでもないことが起こり、むちゃくちゃな展開になれば、これは夢に違いないと思い、安心できるのだが、そうならない。
 柴田は覚悟を決めた。
 同時に、郷里の二階の八畳の間を思い出した。瞬間その引力が来た。助け船なのだ。
 スーと柴田は後ずさり、階段を後ろ向けで降りた。最後の段を降り際に、まだ段があると思い、ガクッとなったが、膝が曲がっただけで、転びはしない。そのまま右へ旋回し、さささと歌舞伎役者のようにかっかっかっと本社ビルから離れ、さーとビル街に逃げ込み、地下鉄の駅まで、息を弾ませながら歩いた。
 安堵感が頭から身体に流れ、地下鉄の階段を降りているときは平常に戻った。
 
   了
 
 


2020年3月9日

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