小説 川崎サイト

 

物怪とは


 春が近いのだが、妖怪博士は相変わらず家の中にいて、滅多に外に出ない。出るとしても夜だ。妖怪博士にふさわしい時間帯。あまり真っ昼間に街をうろつくのは彼らしくない。
 しかし、部屋の中で籠もっていても、色々と人と接することが多い。相談事だ。そのほとんどは妖怪を見た、から始まる。妖怪博士なので、妖怪に関連する人しか来ないのだが、たまにセールスが来る。だが、狐や狸が人を化かすのを研究しているほどなので、セールスに欺されるようなことはない。というより、そんな巧妙な騙し方をするようなセールスなど来ない。一番レベルの低いのがウロウロしているのだろう。そのほとんどは直球で、欺す芸などなかったりする。
 元気の出る飲み物、これは養命酒のようなものだが、それに似たものを売りに来たセールスマンがいた。青い顔をし、痩せている。虚弱体質だろうか。妖怪博士は心配し、君はその薬酒を飲んでいないのかと聞くと、高いので買えないという。セールスの成績が上がれば、買えるのに、と、そちから攻めてきた。
 これは一種の芸だろう。しかも身体を張っての。
「あのう」
「何かね」
「もしかして、ここは妖怪博士のお宅ですか」
「そうじゃが」
「偶然です。僕、知っています。妖怪博士を」
「そうなのか」
 これは芸ではなく、作戦でもないだろう。妖怪博士宅をあらかじめ調べておいて、などと手の込んだことはしないはず。それに高いと言ってもしれているだろう。そんな手の込んだことはしないはず。
「一度聞こうと思っていたのですが、いいですか」
「ああ」
「妖怪と、物怪は同じものですか」
「言葉にはそれぞれ付けたときの意味があるが、まあ、適当でよろしい」
「でも妖怪はいいのですが、物怪って、どうして言うのですか」
「もののかいじゃ」
「それは分かります。聞かなくても。物が化けるわけですね」
「そう解釈した方が簡単。しかし本当は違う」
「え、じゃ」
「驚くような意味はないが、物部氏と関係する」
「物部氏」
 蘇我と戦い敗れている。聖徳太子がまだ青年だった頃だ。仏の蘇我、神の物部との戦い。
「物部の怪。これが正しい」
 政敵物部を倒したのだが、その後、異変が起こる。菅原道真と同じパターンだ。
 ただ、怨念とは違うようだ。
「そんな説があるのですか」
「物部が引き起こす怪異。これを物怪といったらしい」
「僕は、道具とか、そういったものが化けたものかと思いました」
「それも物怪」
「はい」
「まあ、時代により、呼び方が違ったりするもの」
「はい」
「もののけ」という語呂がいいじゃろ。それに仮名で書くと、いい感じのバケモノだ」
「有り難うございました」
「で、養命酒はもういいのか」
「養命酒じゃありません。それよりも効きます。高麗人参とマムシが入っていますので」
「まあ、頑張って、売りなさい」
「新製品もあります」
「興味はない」
「ツチノコ酒です」
「いいセンスをしておるのう」
「はい。でも、説明しているとき、笑います」
「まあ、早く足を洗いなさい。他にも仕事はあるだろ」
「いえ、こういうインチキ臭いのが、好きでして」
「そうか」
 世の中には極一部だが、特殊な趣味を持つ人がいる。妖怪博士もその一人だろう。
 その青年、妖怪博士宅を出て、前の路地を歩いていたのだが、その足取りは軽やか。虚弱体質は演技だったようだ。
 
   了
 


2020年3月16日

小説 川崎サイト