小説 川崎サイト

 

春の陽気


 やっと春の陽気を感じられるようになったので、吉村は久しぶりに出掛けることにした。といっても目的地はない。あるとすればこの春の陽気。まだ春本番ではなく、桜も咲いてないが、梅はもう全部散っている。欲しいのは陽気。冬の陰気ではなく、春の陽気。
 その陽気が来ているため、出る気になったのだろう。つまり気持ちも陽気になった。ただし、かすかに。
 この陽気というのは出掛けたくなるものらしい。だから陽気に当たればそれでいい。そのため目的地などなくてもいい。外に出れば陽気があるのだから。ただ、家の前でボッと立っているわけにはいかない。自分の家の前で不審尋問を受けそうだが、不審者ではない証拠には困らない。
 家の前、近所などは普段でも歩いている。日々の用事で外には出ているが、そこではなく、春の陽気にふさわしい場所が好ましい。
 こういうときは公園がいいのだが、近くの公園は児童公園で、大人は子供の付き添いで来ている程度。普通の大人や通行人が入り込んで、ベンチで座っているのを見たことがない。それに近いので、吉村を知っている人がいる。
 だから、そこではなく、別の場所がいい。
 こういうときは神社やお寺があると便利。特に神社などは普通の人が普通に入り込んでも何の問題もない。ただし本殿で拝むなりしないといけないので、不審な真似はできない。
 まあ、そんな場所など探さなくても、適当に歩けばいい。外に出ているだけでも十分。だからどの道を行こうが陽気は上から来ている。より春の陽気にふさわしい場所など探すから、面倒になる。意外と難しいのだ。
 陽気を受ける。これだけでいい。
 吉村はいつもの駅への道筋に入りかけたので、そこはコントロールしてみた。違う道を選ぶだけでも散策になる。簡単なことだ。道を変える。それだけでいい。
 すぐ近所なのだが、入り込んだことのない道が多い。ほとんどそうだ。引っ越してから五年経つが、用がないので、通らなかっただけ。
 それだけに新鮮。近所にもこんなところがあったのかと思うほど。
 ただ住宅地なので、家が違う程度で、古い家も残っていたりするし、モダンな家もある。門の前に高そうな草花の鉢植えもある。花よりも、その鉢が高そうだが。家も立派で、欧風。小さいが小綺麗な家。きっと建て主はこういう家に住んでみたいと思っていたのだろう。建売住宅ではなく、注文住宅。
 見るものがないし、用事もないので、そういうのに目がいく。それでいい。散歩なので。
 だが、しばらく進むと、様子が変わってきた。このあたりに昔からあった古い地層だろう。そういう一角に出てきた。吉村が子供の頃よく見かけた家が続いている。まるで昔にワープしたようなもの。こんなところがあったのかと思うのは、吉村の不勉強だろう。まあ、寝に帰るだけで部屋を借りているようなものなので、近所には興味はないし、またそんな時間もなかった。
 だが、陽気に誘われ妖気と出合うこともある。何やら風景が怪しくなってきたのだが、陽気が陰り始めたようで、雲が出てきた。季節の変わり目だ。天気も変わりやすい。
 陽気が陰気になり、そして妖気になる。そんなことはないと思いながら、町の古い階層を抜けていく。まるで先住民が住んでいるような一角だが。先にここに家を建てた人達なので、これもやはり先住民だろう。
 陽気が去り、空が暗いが、光がフラットになり、影がなくなった。
 そこを抜けると、見知らぬ町。だが、その町はよく知っている。裏側から入り込んだので、よく分からなかっただけ。リサイクルショップがあり、その建物の裏側に出た。
 もう陽気は消えていたが、一応目的は果たしたので、その店で三層構造のフライパンを買って締め括った。
 
   了
 
 


2020年3月18日

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