小説 川崎サイト

 

快感


 いつもやっているようなことで、ちょっといい感覚のときがある。いいので快感だ。快い、気持ちがいい。これは繰り返したいし、また広めたい。他のことでも応用したり、使えのではないかと思う。
 だが個々のことには個々の事情があり、当てはまらないこともある。
 例えば小さいものがよかった場合、他のものも小さいサイズを狙う。ただ、大きいからこそいいものもある。小さいと意味を失うとか。
 古いものと新しいものとでも、そんなドラマがあったりする。新しいものから受けたいい印象。いい感じ。つまり快感。それで古いものを全部新しいものに変えてしまいたくなる。
 だが古いからこそ値打ちがあったり、古いものの方が優れており、新しいのに変えると、うまくいかず、不快になったりする。気持ちよくない。
 ということは快感というのが砂糖のような甘みで、これが曲者なのかもしれない。快感ではないが、不快ではないこともある。どちらともいえないというより、普通のものだろう。日常はそういうもので成り立っている。確かに不便とか不快と思えるものもあるが、何とかなっている。むしろ快いものなど探しても見つからなかったりする。
 快不快は何かと比べてのことかもしれない。それに不快であったとしても、実用上困らない。用は足している。
 そこから先は贅沢な話になる。できれば気持ちのいいものがいい。あくまでも可能ならば程度で、絶対に必要なことではない。
 すると趣味の問題になる。ここは実用性を超えた好みの世界だけに、何とも言えなくなるが、好みはそれなりに変わるので、そこで何とかなるのかもしれない。
 好みが変わる、趣味が変わる、これはよくあることだが、その正体は快感かもしれない。快感を感じたとか、気持ちよくなるかもしれないと思えるときだろう。だから快感に引っ張られやすい。ただ、これは感覚的なことで実体がなかったりしそうだが。
 どちらにしても、一度いい目に合うと、再現させたい。またはそのパターンを他のことにも持ち込みたい。
 感覚を磨き、研ぎ澄ませていくというのはそういうことかもしれないが、手間のかかる話だが、特に意識しなくても、普通にやっていることかもしれない。
 
   了
 

 


2020年3月22日

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