小説 川崎サイト

 

物言う木


 過ぎゆく時代を思いながら桜を見る。これは年中行事でよくあること。年に一度なので、一年単位。これは結構大きい。年代としてはわずか一年だが、去年の同じ頃に比べ、かなり変わっていることがある。桜が咲き、散るのは変わらないが、その桜が来年同じ場所にあるかどうかは分からない。
 当然去年と同じ春が来て、そっくりそのままの繰り返しだったとしても、それを見る人が、もうそこにはいなかったりする。
 ただの桜。だがら桜だけを見ているのではない。
「今年の桜は早く咲き、早く散るようですなあ」
「そうですか」
「例年、もう少し粘るものですよ。まだ咲いているとね。散るのも遅い。今年はさっと散ります。早い」
「気がつきませんでした。去年はどうだったのか、覚えていませんから」
「そうですねえ。ただの桜、見てもみなくてもいい。別に困らない」
「毎年、ここで花見ですか」
「いつも通る道ですから。それに公園があり、ベンチがあります。だから桜が咲いているときに限り、座ります。それ以外の季節には座りませんし、桜が咲いている頃でも座るのは一回だけ。今日はその日です。昨日でもよかったし、明日でもいい。まだ咲いていますからね。しかし、一回です」
「決まり事ですね」
「花など見ていてもつまらんでしょ。でもせっかく咲いているので、付き合っているだけです」
「誰とです」
「桜とです」
「ああ」
「樹木も話しかけてくるのですよ。別に花が咲いていなくてもね。木そのものが」
「木がものを言うのですか」
「言います。でも普段は聞かない。耳を傾けないとね」
「やはり耳から聞こえてくるのですね」
「頭の中の耳です。外に面している鼓膜じゃありません」
「そんな芸ができるのですか」
「そう感じるだけです。何かものを言っていると」
「何をです」
「何かです。言葉になっていません」
「そんな感じで花見をされているのですか」
「桜だけじゃなく、咲いたばかりのツツジでも、アジサイでもよろしい。葉を付け出した頃の青葉でもよろしい」
「すごい感性ですねえ」
「錯覚ですよ。ただの」
「それでも、そういうものを感じられるのですから」
「いやいや自慢するようなことじゃありません。寝言ですよ」
「いえいえ」
「じゃ、私は今年の花見はこれで終えますので、お先に」
「いい話、聞かせてもらいました。僕も耳を傾けてみます」
「はいはい」
 
   了

 


2020年4月12日

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