小説 川崎サイト

 

風が吹いている


 通り過ぎたというより、少し間を置いてしまったことがある。目まぐるしく変わる世の中、しかし個人の変化はほとんどない人もいる。だが、世の中が落ち着いていても、目まぐるしい変化を繰り返す個人もいる。世間とは関係なく。
 ただ、何らかの世間の風は入って来ているのだが、あまり強く感じないのだろう。
 柴田は春の風を受けている。リアルな風だ。風速計では結構いい数字が出るだろう。春一番などはとっくの昔に吹いたので、単に空が荒れているだけ。しかし暖かい。いい気候だが風が強い。こういう風の影響はもろに受ける。しかも向かい風だと足も重いだろう。それにビル風が加わると、蟹のように横へ飛ばされそうになる。当然、それで横転する人など希だろうが、軸がやや横へシフトする。暴風だがスポット。そこを抜ければ普通の風。やや強いが。
 歩いていると、色々なことが頭をよぎる。これは徒歩のリズムと頭のリズムとの相性がいいのだろう。考え事をするには都合がいい。
 考え事とは厳しい話だけではなく、楽しい話もある。ただ、そんな場を作らなくても、始終気にかかっていることがある。これはなかなか抜けない。常駐しているのだろう。抜けないが、忘れることもある。緊急性が低いためだろう。
 そろそろ動かないといけない用事などがそうだし、今後来るだろうと思う嫌なことなども。
 これも今後やって来る楽しいことも含まれるが、これは作らないと、滅多にない。
 散歩に出ると、少し頭に余裕が生まれるのか、今のことではなく、以前、やっていたことを思い出す。それは先ほども考えたことなのだが、間を置いたため、放置したようになっている。決してやめたわけではない。
 それらは可能性としてまだ生きている。その中の一つを柴田は思い出した。しばらく忘れていたことなので、新鮮だ。
 これは今、やっていることがあまりよくないのだろう。または煮詰まったのかもしれない。勢いが落ちている。
 それで、別のことを考えていたのだが、これを柴田は復活祭と呼んでいる。復活させてもいいようなもが複数ある。いずれも間を置いたため、放置したのと同じことだが、死んではいない。
 そんなことを思いながら、暖かいが強い春の風を受けながら柴田は歩いている。
 こういうとき思い付いたことは散歩が終わると終わってしまう。戻ってから実行することは少ない。
 ただ、散歩中は、そういったものが浮遊霊のように浮かび上がる。それを見るのも悪くはない。散歩の肴になる。散歩のアテのようなもの。
 少し前のことを思い出すのも悪くはない。たとえ復活させないで、そのまま眠らせていても。
 過去の積み重ねが今。良い積み重ねもあるし悪い積み重ねもある。
 いい気候だが、風が強い。
 
   了


2020年4月14日

小説 川崎サイト