小説 川崎サイト

 

清流


 心理状態は常に動いている。高畠は目が覚めたとき、一瞬全ての流れを忘れているときがあるが、すぐに現時点での心理状態になる。これは状況を引き継がれる。たとえば昨日までのこととか、次の用事とか。
 そういうものが心理を変えているのだが、それとは別に体調というのもある。
 妙に元気な日もあれば、わけなくふさいでいる日もある。これは天気の影響もあるのだろう。だから個人的な用件や社会的な何かではなく、ただの天気の問題。または飲み食いしたものでも、変わってきたりする。
 かなりプレッシャーがかかっている心理状態、精神状態のときでも、食欲は別だったりする。
 逆に小さな心配事、取り越し苦労のようなことで食が進まないこともあるので、一概には言えないが。
 ただ、高畠は外因や内因とは関係なく流れているものを見る。底を流れているものか、大きな流れ、全体的な潮流かもしれない。おそらくそれが本流だと思われる。それが何かと考えても、なかなか説明が付かない。具体性が低いためだろう。
 これを高畠は気分と呼んでいる。気分の流れ、だから気流のようなもの。これはおそらく過去から押し出されてくる。色々なものの総体のように。
 高畠はその気流のようなものを感じるのは、目先の変化でそれとなく影響が分かるため。
 今まで興味がなかったもの、あまり積極的ではないものを動かそうという気になる。必要性が高いわけではない。何となくそんな気分になる。これは嫌なことでもやってみてもいいかと思うほど強い。何処から押し出されてきたものかは分からないが、目先の変化でそれが見える。
 そういうことを実際に実行してみると、気分がいい。ずっと以前から溜まっていた何かが出口を見付け、気持ちがいいのだろうか。
 新鮮さは過去からやってくるのかもしれない。新鮮だと感じるのは、それ以前のことから発する。たまに別のことをやると新鮮。その程度のことだが。
 高畠は自分の気持ちを自分で聞くというようなことはしない。これは期待している結果を引き出すような聞き方になるため。
 それよりもふっとやってしまう方がいい。抵抗が減った瞬間、風がやんだ瞬間だろうか。つまりあまり考えないで、さっとやってしまう。これは気分としか言いようがない。そういう気分、気持ちになるからできることで、この気持ちというのは無理に作ると、あとが怖い。
 まあ、どうしても取って付けたような芝居をしないといけないこともあるが、台本を作らないといけないし、練習しないといけない。本来の自分ではないため。
 高畠はその日も普通に起きたのだが、気分がいい。というより清々している。これは溜まっているものが少ないためだろう。出すものを出した便秘のあとのように腹が楽になる。所謂すっきりする。
 腹に一物もない状態。これがいいのだろう。実際には何かまだ入っているだろうが。
 そういういい気分というのを作ろうとしても、なかなかできるものではない。いつもご機嫌さんでは逆におかしい。
 やはりこれは全体的な流れで、たまにそういった精々した日がある。
 これを高畠は清流と呼んでいる。たまにその流れと遭遇する。
 
   了


2020年4月24日

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