小説 川崎サイト

 

他者の欲望


 希望というのがある。人には希望がある。望んでいることだが、どういった希望なのかが明快ではない場合もある。それは希望だけが欲しいということだろう。望んでいる事柄が曖昧でも、希望があるとないのとでは違うが、希望というほど立派なものではなくても、何かを欲しがっていたりする。この場合は具体的なものを見ているはず。
 漠然とした希望は、希望が湧いたとか、希望ができたとかだけになり、具体性がないこともある。この場合は可能性が開けたという程度だろうか。開けた瞬間希望が湧く。
 だが、具体性が全くなく、希望だけがあるということも一寸イメージしにくい。何らかの方向性や傾向が見えたのだろう。見えているだけではなく、そこへ行くことや触れることもできるような。そしてこれは人生規模になったりする。
 夢も希望もないというのは、望んでいるものが果てたのだろう。または遮られたとか、実際には無理だとか、それは様々だが、断たれたのだろう。
 そのため、夢や希望がない前は、あったのかもしれない。それが現実として無理なときの愚痴だろうか。ただ、別の夢や希望は転がっているかもしれない。だが、本人が欲しがっているものとは違っているので、夢でもなければ希望でもない。
 それとは別に、または同じかもしれないが、他人の希望、他人様の希望というのがある。自分が希望するものではなく、相手が希望しているもの、欲しがっているものだろう。人の希望だ。
 自分が思い描いた希望ではなく、期待されていることが希望になる。希望というより、そこはもう目標程度で、クエストに近い。そして本当は望んでいなかったりする。本人の希望とは違うためだ。
 この場合、相手を満足させるのが希望になったりする。相手を喜ばせることが目的になる。
 当然希望の中身にもよる。
 極端に言えば、自分だけのために生きるのか、他人だけのために生きるのかになるが、そんな極端な人はいないだろう。
 他人の希望がプレッシャーになるのは当然だろう。他人の希望と自分の希望は同じでも、少し違う。いずれズレてくる。
 または本人の希望が微妙に変化する。十年も立てばかなり違ってしまいそうだ。
 だが、あまり夢や希望といったビジョンがない人なら、他人に委ねたりする。希望が少ないのは、欲がよく見えないだけ。
 何がやりたいのかが弱いとき、またはないとき、他人の欲を盗んだりする。人が抱いている夢や希望は探さなくてもいくらでも目に入るだろう。普遍性が高い夢や希望なので、ゴロゴロしている。その中の一つを真似ればいい。ただ、本人は本心望んでいない。別にそれを欲していない。しかし、他人が欲しているものを欲しがるというのがある。
 無欲な人は確かに見かけるが、露骨でないだけで、実際には蛇のように、じっと狙い澄ませているのかもしれない。毒蛇は動かないという。
 本人の欲望も、実は他人の欲望なのかもしれない。植え込まれたの。もしそうなら、また別の人のを移植すればいい。本人が天然自然抱いているものというのはあまりない。
 夢を果たす。それは誰かにそれを見てもらいたいのためなのかもしれない。
 
   了


2020年4月27日

小説 川崎サイト