小説 川崎サイト

 

行けなかった喫茶店


 偶然が重なることがある。これはあくまでも偶然で、それぞれ理由があってのこと。ただ、それが一つか二つ重なる。
 その偶然のおかげで、今までできなかったことが開いたりする。偶然が導いたわけではない。普段でもその気になればできることだが、今一つきっかけがない。そのきっかけを作ってくれるのが偶然。偶然によって道が開かれるわけだが、大した道ではない。もの凄く良い展開になる扉が開いたわけではない。
 その一つは、最初の偶然から始まるのだが、何かすごいことを起こすときに来る偶然ではない。
 坂本は朝、喫茶店へ行く。それだけのことだ。
 ところがその喫茶店、最近全席喫煙になった。だから、別の店に変えたいのだが、一度馴染んでしまった店を変えたくない。それにその店は安い。ファスト系で店内も店員もさっぱりしている。淡泊だ。そして意外と静か。
 だから、そこから移動したいとは思うものの、そのままにしていた。
 全席禁煙の理由とかは、坂本とは関係しない。御時世だ。しかし、その後、定休日を作るようになった。これは全面禁煙前からで、人手不足のため。これも理由がしっかりしている。
 それで定休日は、少し高いがその近くにある個人喫茶へ行くことにしている。ここも同じ時期に禁煙になったが、仕方がない。値段が高い方が厳しかったりする。
 ここまでは偶然の偶の字もない。
 ただ、どうせ高い個人喫茶に行くのなら、煙草が吸える店に行きたい。それが実はその近くにあるのだが、なかなか行く決心が付かない。
 その前を様子見に通ることがある。最初はここも禁煙だと思っていたのだが、吸えると表示があったので、ここに都替えしてもいいと思っていた。だが、決心が付かない。また営業時間が遅いので、朝、早いときはまだ開いていない。ただ、休みの日がないのか、いつも開いている。この得点は高い。
 だが、ここまでは、まだまだ偶然はない。
 そのきっかけはいつものファスト系の喫茶店がその週だけ定休日を変えてきた。だからその日は個人喫茶に行く日だが、行かなくてすんだ。
 その二日後だ。定休日が遅れ来ていた。これは偶然だが、それなりに事情があり、普通の偶然というより、偶然という言葉使う必要はないほど。
 意外性など何もない。平常事だろう。これぐらいの変化は。
 そしてお決まりのコースで、個人喫茶へ行く。
 ところが店の前に自転車が一台もない。いつも一台か二台は止まっている。立て看板は出ているし、メニューのスタンド立て出ている。どう見ても営業している。だから、何も考えないで、いつも通り週に一度だけ来る店のドアを開けようとした。
 ところが、そこに手書きの貼り紙。それを読んでいるとき、中から店員がドアまでやってきた。店内には明かりがあり、営業しているとしか思えない。
 要するに、休みなのだ。だが、開いている。その説明をしに店員がドアを開けようとしていたが、貼り紙で分かったので、手で合図を送り、了解したと伝えた。貼り紙には臨時ながら開店時間を今日だけ遅くすると言うもの。だから休みではなく、今、開けようとしていたのだろう。だが、もう少し待ってくれと言うことを店員は伝えたかったようだ。
 いつもの店がいつもの定休日なら、この個人喫茶へ来る必要はない。曜日が違う。そんな曜日に来ることは初めてだが、それはいい。問題は、その日に限って開店時間を変える理由ができたことだろう。理由は分からない。いつもの店の偶然は偶発的なことではなく、予告されている。しかし、この個人喫茶の偶然は突発的だろう。
 ここだ。
 坂本はこれできっかけを得た。煙草を吸える個人喫茶。目星を付け、下調べもやっていた。その店。
 この偶然で、やっと背中を押された感じだ。もう選択肢はない。この店に入るしかない。ただ、喫茶店に入らなくても別に困らないのだが。
 しかし、朝、一日の始め、喫茶店で一服し、その日の予定などを繰るのが日課。それをやめると、一日が起動しない。いわば起動スイッチを入れにいくのだ。
 自転車は一台しか止められないことは知っている。細い路地にあるため。さらに隙間があり、そこにねじ込めないわけではない。これは非常用だ。だから自転車は何とかなる。そして煙草も吸えることも確認しているし、ドアから中を覗くと昼頃は客が多いが、その前後ならがら空きであることも調べている。
 そして、そういった偶然の巡り合わせというより、偶然に振り回された結果として、行けなかった店のドアを開けることができた。
 それだけの話だ。
 
   了

 


2020年5月8日

小説 川崎サイト