小説 川崎サイト

 

地蔵老人


「いつもお見かけしますが、何処へ行かれているのです」
 柴田は自転車散歩中、町内の塀沿いにいつも座っている老人に聞かれた。毎日のように見かける人だが、柴田の近所から少し先にある町内。その町内と柴田との縁はない。あるとすれば、この老人をよく見かける程度。決まって板塀の隙間にある椅子に座っている。地蔵でも祭っている祠のように。
 それで柴田は彼を見かけるたびに地蔵がいると呟いたりする。それだけの関係だが、縁と言えば縁。そしてこの地蔵老人は縁起物と同一。拝まないのは目を合わせてしまうためだ。
 しかし、その日は地蔵から声をかけてきた。
「一寸この先です」
「お仕事で」
「いえいえ」
「気になっておりましてねえ」
「お隣の岸本町に住んでいます」
「あ、そう。岸本の吉田さん、まだ元気かな」
「ああ、はいはい」
 当然吉田さんなど知らない。長く住んでいないので顔ぐらいは知っていても、名前までは分からない。それに岸本町も広い。隣近所の人なら分かるが。
「やはりお仕事で」
「いえいえ、散歩です」
「散歩」
「はい」
「散歩」
「自転車でウロウロしています」
「うろうろ」
「ああ、はい」
「何をウロウロと」
「いえ、コースがありまして、そこを回って戻ってくるのです」
「コ、コース」
「はい、そうですが」
「何処を回るのですかな」
「いえ、道順があるだけで」
「道が」
「そうです。だから目的地は道です」
「道」
「はい」
「それはまた何ですなあ。まあドライブのようなものですな」
「そうです。道を走るだけが目的で、特に目的地や用事はありません。道に用事があるだけ」
「道ねえ」
「はい」
「あ、時間を取らせてしまいました。どうぞ行ってください。いやね、気になっていたものでね。一体この人は毎日毎日ここを通って何処へ行くのかとね」
 柴田はペダルに力を入れた。普通のママチャリだ。
 そして、いつもの道順をグニャグニャ曲がりながら、先ほどの地蔵老人の前まで戻ってきた。
 地蔵はいない。
 昨日もそうだったので、ずっとそこに座っているのではないのだろう。
 その翌日も同じような時間にそこを通った。ところが、いつもいるのに、今日はいない。
 戻ってきたときも、確認したが、やはりいない。椅子だけがある。
 それから十日ほど、姿が見えない。たまに見かけない日もあるのだが十日もいないというのは今までにはないこと。
 それから五日後、地蔵老人が座っていた。
 柴田は会釈を送るが、返って来ない。完全に無視されており、目は藪睨み。
 しかし、戻ってきたとき、まだ座っており、もう一度会釈すると、「やあ」と、応えてくれた。
 思い出したのだろう。
 
   了


2020年5月14日

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