小説 川崎サイト

 

第三分室


 レトロビルと言うほど古くはない。一種の雑居ビルだろう。入口に喫茶店があり、不動産屋がある。その間が玄関口で、数段の階段を上るとドアがある。坂田はそこを抜け、エラベーターで五階まで昇った。そこが一番高い。
 エレベータを降りると廊下が左右に続き、ドアが不規則な間隔である。
 ここはもう店舗ではなく、事務所のようなものだろうか。奥から二番目のドアを見ると、第三分室と、しっかりと書かれている。間違いない。ここだ。坂田の配属先。勤務先。つまり、ここが仕事場になる。
 ドアを開けると、年寄りが出てきた。細くて小さな人。髪の毛は耳の上と後頭部を残すのみだが、いやに髪の毛が黒く、つやつやしている。競馬ポマードでも塗っているのだろうか。
「坂田さんですね。私はもう退職しますので、あとはよろしくお願いします」
「はい」
「ここが第三分室なのですか?」
「そうです。聞かれたとは思いますが、分室は第一第二とあります。まあ、この第三分室は暇です。第三まで用が回ることは先ずありません」
「どんな用なのですか」
「当然仕事ですが、スタンスとしては遊軍です。だから第一第二と遊軍があります。まあ、本室の手伝いです。助っ人です。しかし第三まで回ってくることは先ずないので、詰めているだけでいいのです」
「はい」
「お茶でも入れましょうか」
「はい」
 老社員は奥のカーテンを開き、ガスに火を付けた。水道とガスが来ているのだ。一応トイレもある。風呂はないが。
 デスクがあり、それが大きい。六人ぐらいは座れるだろう。
 それが部屋の真ん中にある。
「緑茶でいいですね」
「はい」
 老社員はパック入りのお茶の葉を何種類か揃えているようで、いずれも安っぽいものだが最初から小袋に入っているので、楽なようだ。その中から緑茶を取り出し、湯が沸くより前に、そのパックを急須に入れた。
 キューンと甲高い音が鳴り、湯気が立った。茶瓶の口に笛が付いているのだろう。
 それをさっと急須に注ぎ、形の違う二つの湯飲み茶碗をお盆に乗せ、テーブルまでゆっくりと運んできた。
「自販機のお茶でもいいのですがね。この入れ立ての香りは、やはり無理です。お茶はね、鼻で飲むんです」
「あ、はい」
「えーと、引き継ぎですが、別にありません。鍵を渡すだけ。それと火の用心、出るとき、チェックしてください。窓のロックも」
「はい」
「それとこのファックス、もう使っていないので、捨ててもいいでしょ。これは本室に連絡してください。取りに来るでしょう。勝手に捨てられませんからね」
「はい」
「それぐらいです」
「どういう務めになるのでしょうか」
「待機です」
「待つわけですね」
「そうです」
「ずっとですか」
「そこはあなた、適当です。その間、市場調査に出ればいいのです」
「え、聞いていません。どんな」
「まあ、散歩のことです」
「ああ、はい」
 お茶を飲み終えると、老社員はロッカーから私物を出してきて、鞄や紙袋に詰め込んだ。
「あなたこれ、やります」
 CDかDVDのようなのを見せてくれた。
「ゲームですか」
「ここのパソコン遅いので、動きはギリギリですが、何とかまだ動きます」
「インストールしていないのですか」
「していますが、DVDを突き刺さないと起動しない仕掛けなんです」
「ああ、いいです。軽い目のウェブベースのオンライゲームをやりますので」
「あれは課金を使わないと、まともに進めませんよ。そのてん、このゲーム味わい深いよ。造りが丁寧だ。世界観がある。それに何度やっても飽きない」
「はいはい」
「じゃ、これで、引き上げます。これがキーです。これがスペア。じゃ」
「はい」
 これが坂田の出勤第一日目だった。
 第三分室。第二分室でも手が足りない仕事。滅多に来ないが、たまにこの第三分室にも声がかかる日があるとか。
 
   了  

 


2020年6月1日

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